---------------------------------------------------------------------
2006年3・4・5月

目黒さん一時日本へ帰国
---------------------------------------------------------------------
whangarei map
DHARMA単独世界一周航海日誌   2006年3・4・5月             戻る

4/26/8:41JST 目黒さんからのメッセージ
<馬場社長経由で入った目黒さんのメッセージです>
未だ近況を報告するほどの進捗はありませんが、突然の一時帰国にも関わらず歓迎と激励をして下さった皆様へ。
御礼をこめて以下のメッセイジの配送をお願いします。皆様有難うございました。今後とも宜しくお願いします。

お会いした順に時系列

3月11日(土) : 柏市「和らぎの湯」で久し振りに風呂上りのビールで帰国を歓迎してくれた橋本さん、斉藤さんへ。お二人は出航時にも見送りにきて下さいました。何れもアルバトロスクラブの重鎮で橋本さんは大学ヨット部以来、斉藤さんはアルバトロスヨットクラブに参画して以来あらゆる局面でサポートして頂きました。斉藤さん、成田までの見送り有難うございました。

3月13日(月) : インターランド松永さんへ。ヨット保険について貴重な提案と助言を頂きました。次回のメルボルンー大阪ダブルハンドレースに挑戦される由。ニュージランドではすれ違いになりそうですが貴船の御安航をお祈りします。

3月15日(水) : アルバトロスのホームページを管理している佐々木さんへ。当日は写真持参で帰国時の説明用資料の作成を手伝って頂ました。ヨット、テニス、ダンス、マージャン教室の先生、その合間を縫って仲間とアラスカ、カリブクルージングと忙しい日々を過ごしておられる由。引続き宜しくお願いします。

3月17日(金) : 安藤さん、六城さん他レーザー東京ベイフリートの皆様へ。本来はユリちゃんと角南君の送別会でしたが飛び入りで参加しました。いつものことですがが若い皆様方に熱気に「オジサンモガンバラネバ」と力づけられます。

3月20日(月) : 山下先生へ。「医者の不養生とはこの人のためにある言葉です。」といいながら奥さんが甲斐甲斐しく介護していましたね。羨望を感じたぐらいです。無事退院され帰国前のOB会にも参加するほどの回復振り。後で早めに帰宅されたことを知り安心しました。くれぐれもご自愛下さい。

3月23日(木) : 荻本さん、富樫さん他アブダビ洋上のエルブンドク油田の開発で共に汗を流した仲間達へ。新日石、ジャパンエナジー、三菱石油開発等、現在は日本企業を代表する石油開発会社の経営陣としての重責を担いながら世界中を飛び回っている事と思います。初めてお会いしてから30年近くなりますが、以来変わらぬ友情を感じます。

3月24日(金) : ボヘミアン船長渡邊さん、刈谷セーリングクラブ、碧南ヨットクラブの皆さんへ。泡盛と山海の珍味を堪能しました。離日直前にボヘミアンのホームページを再検索しました。4月15日、碧南ヨットクラブをベースに開催されたボヘミアンカップが大盛況であったことを知りました。おめでとうございます。機会を見つけて今度はお手伝いに行きます。

3月26日(日) : レーザー「東京湾選手権」の手伝い。再び東京ベイフリートの皆様へ。あまりお役に立てませんでしたが、久し振りの観戦を堪能しました。次回はセーラーとして参加しますのでその時は宜しくお願いします。

3月30日(木) : 帰省時に函館であった高校時代同期の竹内さん、佐竹さんへ。故郷を離れて40年、毎回帰省の度に故郷の良さを思い出させてくれます。今度戻った時は久し振りにニセコにスキーに行きましょう。当方も年相応に、無理せず慎重に航海を続けます。

4月9日(日) : アルバトロスヨットクラブの懇親会に参加された皆様へ。昨年正式にNPOに登録してからの活動には目を見張るものがあります。手伝いにはいけませんでしたが、アクセスディンギーの講習会やクラブ選手権等、以前と比べ格段に充実しているのを感じました。自分に何が出来るかわかりませんが戻ったらアルバトロスの発展に及ばずながら尽くしたいと思っています。それまで今し暫くホームページの片隅を使わせてください。

懇親会1 懇親会2
  単独世界一周航海の「夢の途中」の報告と質疑応答

4月10日(月) : 橋本、山村、南諸大兄へ。単なる同期とかマージャン仲間を越えての付き合いになりました。卒業以来会うたびに「オメーガ、マトモニ、ツトメテイルカドウカ、ミナ、シンペイ、シテイルンダヨ」といわれ続けてきました。期待通り(?)真艫な生活にはなじめなかったようです。自分に適したライフスタイルを模索している結果ですのでご容赦下さい。当方もそれなりに皆さんのことを心配しています。

4月11日(火) : 気象海洋社 馬場社長、山我さんへ。とにもかくにもニュージランド迄無事たどり着けたのは、適切な気象情報の提供とアドバイスの賜物です。長丁場になりますが引続き宜しくお願い致します。

4月15日(土) : 幹事の澤田さん、桜田さん他秋田大学ヨット部OBの皆様へ。部員不足でクラブが休会になったのは残念ですが、夫々の環境の中で皆さんがセーリーングを続けているとの事。心強く思いました。初めて飛び入り参加した大久保さんが「凄い人達ですね。目黒さんが一生懸命(航海の)説明しているのに誰も聞いていなかったですね。」と感嘆していました。久し振りの集まりだったので旧交を暖めることが出来ました。有難うございました。

4月17日(月) : 幹事の向坊さん、この会社は君を必要としているといってくださった野の内元社長、最後までお世話になった金野さん、中松さん、同期の横手さん、大渕さん、帝国石油の林さん、石油公団(元)島村さん、住友石油開発の尾上さん、三菱商事の澤田さん。ジャパン石油在職中どちらかというと一方的にお世話になった方々。又お会いできるのを楽しみに航海を続けます。

小職の退職後、ジャパン石油は国際石油会社と合併し、更に国際石油と帝国石油が対等合併が決まったようです。
メジャーの大型合併は10年前に終わり、その後も合掌連衡が続いています。日本にとって石油は正に経済の血液です。自分の出来る仕事は終りましたが、自主開発原油の必要性は益々高まると思います。皆さんのそして共に一時期を過ごした若いオイルメン達の出番は益々広がっています。更なる活躍を祈念しています。

以上

5月4日現地時間21時
ゴールデンウイークの真っ最中皆様如何お過ごしでしょうか?

ワンガレイ(ニュージランド)より2週間ぶりの便りです。

本日現地時間3時25分トンガ沖50海里付近で超大型の地震が発生。津波の影響がニュージランドにも及ぶのではとの懸念あり。幸い50cm程度の高波がトンガからサモアにかけて観測された程度で6時ごろ警戒警報は解除。当方がニュースに接したのは5時半頃。「タミオ・タミオ」と大声で呼びかけながら激しく船体をノックする音で目覚め、暗闇の中デッキに出る。近くに係留しているビルとエリックより「トンガでマグニチュード8.3の地震があり、ニュージランドでも警戒警報が出されている。」とのニュース。「何か対策は?」と聞くと「特に無い。」との返答。

周りのヨットからもぞろぞろと人が出てくる気配。外は未だ暗くて寒いので着替えをしながらラジオのスイッチをいれ、頭にランプを点けながら外へ出る。もし津波が来れば桟橋の一番端に係留している大型ヨット「FURUITY FRUITS 65ft?:夫婦とと10代の子供2人を連れて船旅をしている英国ヨット」が最も被害を受けるだろうと思いそちらに向かう。

幸いワンガレイはクネクネと曲がった河川を20km遡ったところに位置している。多少の高波であればエネルギーは途中で吸収されるだろう。一方オプアの場合は大きな入り江の突当たりに位置しているので被害は大きくなるだろう。数日前オプアに向かったデンマークの小型ヨット「Caita」の事が心配になる。そんなことを考えながら桟橋の端に着くと、周りから三々五々集まってくる。其のうち「警戒警報が解除された。」とのニュースが伝わる。」時計を見ると6時を少し過ぎたところ。

「地震発生から既に2時間過ぎている。津波に影響は無い。」との声に続いて色々な冗談と笑い声に安堵の気持ちが伝わる。何を言っているか理解不可能だったが尋ねる気にもなれず船に戻って一眠り。
日中は津波のニュースで持ちきり。曰く「ニュージランドは適切な津波対策を行っていない」「韓国では津波のためオークランド市民が大挙非難したとの報道がなされた。」等など。以上津波ニュースでした。

さて肝心の整備の進捗だが、ここ一週間ほど天気予報に反して晴れ間が多く10日前に届いていたウィンドベーンの設置やドジャーの補強など予想以上に作業が進んでいる。そのため一日が終わるとぐったり。平行して以下の作業を検討中
ーアンカーストアの漏水箇所の修理
ーオートパイロットの交換(グレードアップ)
ーこれまで使っていた小型のオートパイロットをウインドベーンに連動させる仕組み
ーイリジューム主体の通信に加え、無線(SSB,VHF)を介した通信システムのテスト
 (xxx@sailmail and xxx@winlink)
ー航海計器用コントロールパネルの最適化(機器の配置・配線の追加と削除)
ーバッテリーバンクの最適化
ーセイル(メイン・ジブ)のリカットと補強
ーデッキ状の総ての貫通箇所の漏水チェックと対策
ー船底のチェック
ーテイストセーリング
ー時間が有れば付近の観光
ー2年後の南太平洋再開ツアーの資料集め。

作業の7割近くは専門の業者に依頼するのでその打ち合わせと作業が順序良く、重複しないようにすると3ヶ月程度要する見込み。
折をみて又報告します。時々写真も送るようにします。
以上

5月9日
最近取り付けたウィンドベーン(MONITOER)の写真と関連記事(SCANMAER社のホームページ)を送ります。未だ整備の途中なのであちこちに絆創膏(ガムテープ)が貼ってあります。
昨日から本格的に内部の修理と改装を始めました。船内はポリエステル樹脂が充満し船内での生活は当面不可能です。
シンナー中毒にならぬよう今日から50mの所にあるアパート(モーテル)に引っ越しました。
ロウシーズンに入るので1週間NZ230ドル(NZ1ドル=73円)で借りています。2DKの小さな部屋ですが久し振りに文明生活に戻った気分です。
目黒

ウィンドベーン1 ウィンドベーン2
最近取り付けたウィンドベーン(MONITOER)

5月21日(日曜日)
何時から秋になりそして冬が来るのかは明確ではないが、朝夕の冷え込みはかなり厳しくなってきている今日この頃。 季節の変化に伴いこのマリーナ(Riverside Drive Marina)でも船の出入りが多くなった。
現在海上係留と陸上に夫々20艇合計40艇が当マリーナに在籍。内モーターボートが10隻ほど。
モーターボートを除いて殆どが海外から来ている多国籍船の集団。

フレンチポリネシアでは圧倒的ににフランス人、続いてアメリカ人が多かったがここではフランスを除く欧州、アメリカそして南アフリカの船が多い。 比較的気軽に声を掛け合う船の中に3隻の南アフリカ国籍の船がある。そのうち2艇は子供連れの家族。MAHIMAHI(47ftのカタマラン)は10歳の女の子と7歳の男の子。
「FRUITY FRUITS」(80ft?:第一回のBOCチャレンジ(世界一周レース)で優勝した「British Steel」の姉妹艇」)は16歳になる2卵性双生児の男女。
海上係留の船はここ1週間で10程入れ替わった。出航した船の多くはフィジーとトンガに向かっている。今月末までに更に数艇が気候が穏やかで、暖かい北の海の海をを目指していく。
入れ替わりに入港する船は冬期間整備をするか或いは船を預けて再び春が来るまで帰国するようだ。現在陸上の敷地が満杯なので空きが出るまで待機している。

当方は取敢えずの懸案であったウィンドベーンの交換とドジャーの整備をほぼ完了し、陸上空きが出来た5月12日に上架した。 昼頃上架する予定だったが、朝8時ごろヤードのボス、レイロバーツが「天気が良いので雨が降らないうちに早く上げよう。」という。上架作業は30分で完了。

ウィンドベーン他
レイロバーツ(ヤードのボス)(Riverside Drive Marina

トンガでオンザロックし、その直後バラストキールを締め付けているボルトの一つから僅かに海水が染み出ていたのを思い出し、おそるおそる船底を覗くが異常は無し。 船底も思った以上に綺麗だ。「あの海水の染み出しは何だったのだろう。」と別の事が気にかかる。

その後エンジンの整備と船内の作業を続けている。その間マリーナに係留しているベテランセーラのアドバイスを得て電子チャートのインストールを完了した。 世界中の総ての海図を網羅するチャートを2種類バックアップ用のPCにもインストールできた。長距離クルージングセーラーのよしみでお互い知恵を融通しあっている。 設定にはかなりの専門知識が必要で自分が設定するのは途中であきらめた。

今日は日曜日なのでバーべキュウの日、ワンガレイに移って以来すぐ側に係留していたドイツ艇のラルフがいつも二人分の食事を用意してくれた。ラルフは数少ないソロセーラーでお互い気楽に付き合える。 材料は自分が持つことにしているがニュージランドの牛肉は最高級のステーキでも100g百円程度。そのラルフも先週水曜日トンガに向け出航した。
当分日曜日はも外食しようかと思案していたところ、翌日オートパイロットが作動しないため彼が又戻ってきた。という訳で今夜もラルフの特製料理にありつける。 自分は人に食べさせるほどの料理の腕はないので飯炊きに徹している。

ウィンドベーン他 ウィンドベーン他
モニター取り付け完了        ドーム他取り付け完了

ウィンドベーン他 ウィンドベーン他
念のため入り口にもカバー             上架


5月29日月曜日
最近は毎日のように北の暖かい海へ向かって出航していく。昨日朝、ワンガレイ入港以来親しく付き合っていたラルフがオプアに向け出航した。

其の前日にはオプアレガッタで会って以来、オークランドまでのクルージング等々、これまで付き合いのあった唯一の女性ジュリアが10ヶ月間のワーキングホリデェを終了して兄のフロレンスと共に母国ドイツへ戻っていった。兄のフロレンスは大学卒業を控え休暇を取り、2ヶ月間ジュリアと車でニュージランド全域を旅した後、数日前ワンガレイにも寄っていった。一度ダーマでセーリングしたいといっていたが上架中なので、より居心地の良いラルフの船で遠来の二人を歓待することにした。久々の美女の登場にラルフも大喜びで得意の料理を振舞ってくれた。

愛しのジュリア
ジュリアの寄宿先、隣は大家のディーン

ヨットで旅行しているからこその出会い意と別れがある。最近別れた2艇「Fruity Fruits」と「Mahi Mahi」は何れも家族連れの南アフリカ出身。Fruityの主人のステファンはキンバリーで産出されるダイヤモンドを加工しベルギーに輸出する仕事を代々続けていたそうだが数年前事業を売り払い旅に出た。16歳になる双子の姉と弟は通信教育を受けているという。典型的なブーア人の血を引いているようだ。 奥さんのキャロラインは、両親が英国人とフランス人なので3つのパスポートを適宜使い分けている。彼女によるとブーアという言葉はオランダ語の古語で「畜産農民:Farmer」を意味する。南アメリカに戻ることは2度とないだろうと言っていた。アパルトへートが終わり其の反動で過っての富裕者階級にとっては住み難い国となったことが伺われる。

マヒマヒのジョウとリジーナ夫妻は何れもポルトガルの血を引いている。生まれはマダガスカル。子供の頃からの知り合いらしく、結婚してすぐに世界一周をしている根っからのヨット乗り。リジーナはオプチミストやレーザーに乗っていたがジョウと知り合ってからキールボートに乗リ始めたという。南アフリカでAT関係に仕事をしている。現在のカタマラン「Leopord47」で後2年はクルージングをした後、子供の教育にため一度南アフリカに戻り、頑丈なモノハル艇に乗り換え次は南極に行くつもりといっていた。斉藤実さんがBOCチャレンジで南アフリカに寄港した時はボランテアで随分お手伝いをしたそうだ。

MAHI MAHI
マヒマヒの名刺

カナダ艇の「Hi C's」のカップルは最近休暇を取り愛艇の整備に戻ったところ。月末には出航したいと言っていたが見たところ整備に手間取りそう。カップルの男性は自分の名前は「ボウヤ」と自己紹介してきた。日本の商社との付き合いがあったそうで日本語の単語を幾つか披露してくれた。女性の「ミヤ」はベトナム人で本物のボートピープル。子供の頃ベトナムを脱出しシンガポールにたどり着き、知人を訪ねてカナダに渡ったそうだ。現在カルガリーの洋装店で繕い物の仕事をしている。シングルマザーで子供がいるが知人「妹?」に預けてきたという。友人の紹介で「ボウヤ」と会い、海が好きなのでなんとなく付いてくる気になったといっていた。彼女が海に出たとき何を思い、何を感じるのだろう。
自分は時々小柄で愛くるしい彼女に「オーラ」を感じる時がある。

親しくなった人たちが去っていく中で自分の生活のペースが少しずつ出来つつある。
毎週金曜日には近くのワンガレイクルージングクラブに顔を出す。最近クラブハウスの改装が行われ毎週金曜日だけ格安で食事と飲み物を提供してくれる。又月一回のレース(ウインターシリーズ)にも参加している。一月前初めてのときはコモドールのジョンとレースセクレタリーのロンの紹介でゲリーの所有する「Magic shock」のクルーとして出場。 このときは微風と逆潮でレースの途中でアンカーを打つのを始めて経験した。結局フィニッシュ直前でリタイア。昨日は2度目のレース。帰国前の「ツツカカレース」で乗せてもらった「ベアエセンシャル」に再び参加。艇長のボイドスミスは日本でヨット買い、現在ミクロネシアをセーリングしている。

代わってデイブが舵を取る。デイブはボイドと組んでニュージランドのダブルハンドレース等に出ているベテラン。狭い航路がレースコースになっているため、キールが8ft以上あるベアエセンシャルは逆潮のとき他の小型艇が浅瀬ギリギリまで突っ込み潮の少ないコースを取れるのに対して、潮のきついところで幾度となくショートタックを繰り返す。
ぶっ契りのフィニッシュだったが修正で16艇中9位。レース後はデイブとクルージングクラブに戻りビールを飲みながらヨット談義。デイブはYAMAHA他マリンエンジンの代理店の経営者。

race race
レースはぶっちぎりのフィニッシュだったが             レース後の寛ぎ

又毎週火曜日にタウンベイスンの「REV'S」で食事をする。Revと言う名のイスラエルのおばさんが経営するレストランで火曜日のみサービスとして格安の食事と飲み物(半額)を提供するので多くのヨットマンが集まる。

アイルランド人のポールが「サンディング、サンディングの毎日、船の修理にはほとほと飽いた。偶には緑の芝でゴルフをしたい。ゴルフをする人求む。」と書いた張り紙をみて連絡。これを切っ掛けに2度ポールと近くのゴルフ場でラウンドした。2度目にいったNorthlandゴルフクラブは打ちっぱなしの練習もある。レッスンプロが2人おり、ビデオを使いながら丁寧に教えている。一人で回っている人もおり、ラウンドする相手も容易に見つかりそう。体が少しなまってきたので天気の良い日は散歩代わりに早朝ゴルフをすることにした。日本からクラブを送ってもらおうかとも考えたが、格安のクラブを購入(トップフライトのフルセットクラブ:NZ500ドルー3万5千円)こちらの準備も整った。

整備の方も順調に進んでいる。日本を出るとき搭載するかどうか迷って結局付けなかったレーダーデテクター(本船のレーダーを感知したらブザーで知らせてくれると同時に、より強い電波を相手の船に送り自艇の存在を相手に知らせる装置。)を発注(製品名:Sea-Me 英国製)。到着を待ち電機系統の配線チェックと機器の再配置をする予定。この作業後にイリジュームの再テストと最近取り付けた「PACTOR:ラジオ無線を利用した e-mail xxx@sailmailやxxx@winlinkの利用が可能。)」のテストも予定している。

チェーンロッカー
修理が完了したチェーンロッカー
以上



GeoCities Japan

メイン / コミュニティ / アベニュー / E-List / 街角広場
インフォメーションセンター / 検索 / ヘルプ / ガイドライン

inserted by FC2 system