2009年1〜2月
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12月27日(土)「天国に一番近い島」ニューカレドニアのウベア島へ到着
1月 7日現在 熱帯性低気圧の接近を避けてリフー島のマリーナに滞在中
1月15日現地時間1500時(日本時間1300時)ニューカレドニアのウイ・マリーナを出港
1月20日14:00JST「世界で一番幸せな国」バヌアツ共和国のエスプリッツサント島へ入港
     目黒さん寄港の → バヌアツ共和国の紹介
1月30日バヌアツ共和国のエスプリッツサント島を出港
2月 7日ソロモン諸島ガダルカナル島のホニアラへ入港
     目黒さん寄港の → ソロモン諸島、ガダルカナル、ギゾの紹介
2月12日ホニアラを出港、同じソロモン諸島のギゾ(GHIZO)へ向かう
2月14日同じソロモン諸島のギゾ(GHIZO)へ入港
2月22日同ギゾを出港
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kiseki

Wind Speed = 5kt(2.5m/s), = 10kt(5m/s), = 50kt(25m/s)

  DHARMAの単独世界一周航海日誌   2009年1〜2月          戻る

1月5日0900時 JST同日0700時
北部の停泊地に移動してから2日目。若水が出航した後ウベアに残っているヨットはダーマのみ。今のところ夜になると風が弱まり、日中は東よりの風最大10m/s程度、ウネリ無し。昨日早朝、船外機の音で目覚めた。コクピットへ出た時には、現地の船(5m位の漁船?)が既にダーマを離れ教会の前の砂浜目指していた。夕方には別の小船が沖の小島との間を往復していた。今のところ上陸する意図は無いが、上陸したい時は傍を通る漁船に声をかけることにする。

強風時にチェーンのショックを和らげるため、ゴムの緩衝材をを入れた2本のロープでチェーンを吊っている。風速が強くなれば低速でエンジンを回して対応するが、風向が大きく変われば投錨地を変えるか、沖出ししてヒーブツーすることも考えている。今後の海況次第ではあるが7−10日間、ここで過ごす事になりそうだ。

幸い若水の菅原さんと伊芸さんから文庫本を10冊程貰ったので時間を持て余すことは無い。他にもいずれ読もうとしている「The Secret Voyage of Sir Francis Drake」や「The Endurance Expedition to Antarctica by Ernest Shackleton」を読むいい機会だ。日本からニュージランドに戻るときブックオフで20冊程本を買ってきたが、ワンガレイでインフルエンザのため10日間ダウンしている間に読みつくしてしまった。一冊だけ残し読みかけていた「西行花伝ー辻邦生著」を昨日から読み始めた。道ならぬ恋を永遠に守り続けるため27歳で出家、73歳で生涯を閉じる迄、西行の生立ちや時代背景を含む力作を惜しむように読んでいる。

ウベア島の生活(何をして生活をしているのだろう島人は?)1月4日の若水のブログ

2009年1月元旦の初日の出1月2日の若水のブログ

2009/1/5/09:20JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
熱低はニューカレドニアの北西、17S-161E付近にありますが、今後2個になる可能性もあります。
これらはいずれも南東進してニューカレドニア付近を通過する可能性があります。
特に後からの熱低は1/12以降に接近する見込みで、発達する予想。
今後最新のwdmapで確認され、荒天対策をお願いします。
今日から会社の仕事始めです。御質問等あれば電話で。


1月5日1700時
 先日横浜でお会いしたブリストルカッター所有の比企さんが、世界一周マラソンに挑戦する「間寛平」さんとダブルハンドでいよいよ出航したとの事。冬季の太平洋を何とか乗り切り無事北米に到着するよう祈っています。時折彼らの状況も伝えてください。

当方の近況以下の通り。
日々情報が変化しているようだが、発達中の低気圧がニューカレドニア付近を通過する確立が高くなってきている。現投錨地より5海里北にある小さな入り江とその隣の海峡を調べるべく、午前中近くの教会の直ぐ傍に投錨地を変更。近くを通過する小船に声をかけ上陸。

小船に乗っていた「Felix」少年の家を訪れ英語を話せる人を探したが皆無。15歳になるFelix少年と従姉のKidineさん(19歳)が片言の英語を話せる程度。彼らからスペイン語なら話せると言われ、当方無学を恥じ入る。身振り手振りに加え、紙に絵を描きながら入り江の状況を確認すると「水深15m」あると言う。事前に調べるため近くに4隻投錨している船外機付のボートの一艘を借りたいと伝え、走り回ってくれたが適当な貸し手がいないようだ。歩いて行く、自転車で行く、手漕ぎボートで行く等色々なアイデアを出してくれる。そのうちダーマで手漕ぎボートを曳航する案が出されこれを採用。

早速Felix少年とKidine少女の3人で現地に向かう。入り江と海峡の入り口は、いずれも水深が浅く、中に入るのは危険と判断して引き返す。結果は思わしくなかったが、溜まったゴミを回収場所に無事捨てることが出来たのが収穫。明日彼らと又会うことにしている。現地通貨を使い果たしているので換金できれば直ぐ傍のスーパーで果物や生野菜等購入予定。低気圧の進路が明確になるまでは現地に留まることになりそう。

2009/1/6/09:55JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
最新の情報では、これから2個の熱低が対象海域を南下しそうです。
このうち1個は、大きく発達する事は無く、1/7-8にかけてバヌアツ付近を南下。
もう一つは、1/7頃ニューカレドニア北西方でまとまり始め、1/10頃まで同海域で停滞・発達した後、1/11以降ゆっくりと南東方へ進み、1/12-13にかけてニューカレドニアのすぐ東を南東へと移動する可能性があります。
中心付近の最大風速は、計算値で40-50kt。瞬間はこの1.5倍。
御当地でもサイクロンに関する情報は随時入ると思いますので、今後の動きに注視してください。


2009/1/6/13:00JST
<馬場社長から目黒さんの情報>
ダーマは移動します
ニューカレドニアの東にあるロイヤリテイ諸島北のウベアに滞在していた目黒さんの「ダーマ」は、本日、今後一週間に接近が予想される熱低の影響を避けるため、同諸島真ん中のリフー島東岸のシャトーブリアン湾奥にあるマリーナに移動します。
到着は明日1/7午後の予定です。


2009/1/7/09:55JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
熱低の一つはバヌアツ付近にあり、明日以降ニューカレドニアの東400-500マイルを南東方へ進む見込みです。
今ひとつは、ニューカレドニア北西方、グレートバリアリーフ沖にあり、1/10頃ニューカレドニアの北沖から南東進し、1/14頃同島の東海上へと移動する見込みです。この間1/11-1/13はニューカレドニアの東岸沿いに南下するため、南東〜南よりの風が強まる予想です。現在の予想では1/12頃最接近し、MAXは30-45kt。瞬間はそれ以上となる可能性があります。


2009/1/7/13:00JST
<馬場社長から目黒さんの情報>
ダーマ無事到着
目黒さんのダーマは日本時間の1月7日12:30にリフー島東岸のシャトーブリアン湾奥にあるマリーナに無事着岸しました。ここで熱低をやり過ごした後、海況の様子を見てグアム向け出港されます。
取り急ぎ御連絡まで。

追伸:目黒さんとも面識のある比企さんが、間寛平さんと太平洋を横断中です。
   間寛平さんのアースマラソンのブログ  応援してあげてください。


目黒さんが入港したと思われるリフー島東岸のシャトーブリアン湾奥にあるマリーナ


2009/1/8/09:45JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
サイクロン(2つ目の要注意のもの)は1/13頃対象域に最も接近する見込み。
現在の予想ではやや東沖を通過する見込みで、風は南よりMAX40KT。瞬間はこれ以上。

引き続き更新され次第、情報をお送りします。以上となる可能性があります。


1月8日1700時
以下の気象情報受領。現在の停泊地は小さいながら、近代的な浮き桟橋があり、全方向の風、波に耐えられるようになっています。只一点気になるのは、浮き桟橋を支えているパイルの長さが短い事。満潮時(潮汐差:1.0m)でパイルの水面以上の高さが1.5m強。従って低気圧により発生する高潮が1.5m以上になると浮き桟橋が流されることになる。今回のサイクロンの気圧がどの程度まで低下するか、最も近づいた時の潮汐との関係がどのようなるかが鍵になる。引き続き気象情報をお送りください。

PS:現在「ニューカレドニア島巡り」と題して簡単近況報告をまとめています。作成次第送りますので回覧お願いします。


2009/1/9/09:56JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
熱低予想は引き続き日替わりが見られ安定していません。
現在ニューカレドニアの当方海上に一つ低気圧があり、これはゆっくりと南東海上へ進んでいきますので、対象域に影響する事はないでしょう。
問題はその次の熱低ですが、オーストラリア北東岸あたりの擾乱が、1/14以降ニューカレドニアの北方を東へ進むと予想されています。しかし、これもいずれ変わる可能性アリです。
15Sを挟んで、北側は北東風、南側は南東風が帯状に伸びているので、この辺りで何時低気圧性の渦が発生してもおかしくない状態にあることだけは確かです。


平成21年1月9日
ニューカレドニア島巡り

1)若水とのランデブー(12月20日―1月4日)
12月20日正午前ヌメアを正式に出航してから、1月4日のまで若水とランデブーしながら、ロワイヨテ諸島の一部である、イル・デ・パン、リフォー、ウベアと3つの島々を訪問。行き先は総て若水任せ。ヌメアに30年住んでいる経験豊かなヨットマン堀さんのアドバイスにより快適なクルージングが続いた。

最後の寄港地ウベアは天国に一番近い島と言われている。堀さんは「地元の住民は部族ごとに異なる協定があるようだが、例えば認可したホテル等に魚、ヤシガニ、ココナツ、野菜等を持ち込む。ホテル側の必要性の有無に関わらず、運び込んだ品々の対価を受け取る。地元従業員の関係者がホテルを訪れ、飲んで、食べて支払いをせずに帰るのでホテルの在庫は減るが収入にはつながらない。ホテルにとっては必要経費と言ったところだろうが、地元住民にとっては天国に近い島と言えないことも無い。」との印象を話していた。最近ホテルにレセプションに勤務した愛ちゃんの話では、現在そのような事例は少なくなったが、自分にかかわり無いところでは行われている可能性ありとの事。

ウベアは実は2つの島からなる。南側の小さなムリ島と北側のウベア島は小さな海峡で隔てられ20mの橋で繋がっている。若水とダーマが投錨している直ぐ傍にある日本人経営のパラダイスホテルは、ムリ島にあり唯一の近代的な宿泊施設。

2)再び一人で(1月4日―1月7日)
1月4日若水と別れた後、良好な投錨地を求めて北側のウベア島に移動したが、ここは近代化とは未だ無縁の所だった。移動した直後から発達中のサイクロンが1週間後に投錨地近くを通過するとの情報があり。地元の人たちの協力を得て良好な投錨地を探したが、結論として安全な停泊地は見つからなかった。この投錨地探しに直接協力してくれたフレックス君(15歳)と従姉のケデインさん(19歳)とは1月7日にウベアを離れるまで終始世話になった。

2人の家族(正確には何人いるか不明だが両家族で10−15人が隣接した2軒の家に住んでいる。)に朝食と昼食を招待された事がある。朝食は一般的なフランス式だったが、昼食は、ミートボール、鳥と野菜の煮付け、バナナの煮付け、うりの酢の物(サラダ風)にご飯やタロイモがついた豪華版だった。フレックス君の父親の名前がフレックスさん。ケデインさんの母親の名前がケデインさん。この時点で皆の名前を聞くのをあきらめる。双方の共通の祖父はアンダーウッドジョセフさん、祖母の名はジュオウラさん。ファミリーネームはキシネ。母親のケデインさんの英語が一番通じたが、本当に通じているかどうかは不明。フランス語の電子辞書でこちらの言いたい言葉の和仏単語を見せ、向こうが言いたいことの仏和単語を打ち込んでもらう。長い時間をかけ単語が繋がり始める。お互いの意思が通じた時、皆一様に笑いがこぼれる。

フレックス君と同年輩の従兄弟が何時も小船でダーマまで送迎をしてくれる。多いときは一日3回。約束の時間を違うことが無い。上陸している時はいつもピッタリと付いて来てくれる。とても献身的、まるで親衛隊のようだ。数日前若水のメンバー達と来た事のある教会近くを散歩しながら、近所の家々の庭先を通り、ライム等を貰ってくれる。亀のいる洞窟に泳ぎに行こうとさそわれたがこれは断った。この洞窟(海底で海に通じているプール)には、既に言っている。直径50m前後、周りが5−10mの断崖に囲まれている。訪問した時は、7−8人の地元の子供たちが歓声を上げながら次々に断崖から飛び込んでいた。プールの中には12(?)匹の大きな海亀が生息しているそうだが、その日見たのは2匹。亀の洞窟に行けば間違いなく、断崖から飛び込む羽目になりそうだ。これが断った理由。この年であまりムリはしたくない。

教会の近くに学校と病院がある。公共施設はここだけ。ホテルやレストランは、総てムリ島に集中している。傍にスーパーマーケットがあり、そこで買い物をするために銀行へ行き換金する予定だった。実際に中を覗いてみると、新鮮な野菜や皆無、ビールも在庫切れ。買いたいものが何一つ無いことが判った。ムリ島と違い、ここの住民は半農・半漁で自活しており、主な住民は老人と在学中の子供とその母親達。ビールはともかく、新鮮な野菜などは、自家栽培あるいは物々交換に頼っているようだ。若者たちの多くはヌメアを中心に働きに出ているようだ。祖父のアンダーウッドジョセフさんは、独身時代は船の機関士、結婚してからはブルドーザーの運転士としてヌメアを中心とした建設現場や道路工事に従事していたそうだ。当時の古い写真を数枚見せてくれた。

血縁関係を中心に生活が営まれており、年長者が尊ばれ、子供たちを規律正しく育てている。年長者は威厳があり、子供たちは、生き生きとしている。ウベアが世界遺産に登録され、多くの観光客の訪れとともに現金収入が増えれば、ムリ島のように少しずつ生活が変化するのだろうが、それが本当に地元の人たちにとって良いことなのだろうか?多少なりとも出稼ぎは減るだろうが。何れ核家族の増加と共に、古き良き伝統も失われていくのだろう。

いずれにしてもここは天国に一番近い島、とても印象に残る数日ではあったが、自分は一介の放浪者。サイクロンが近づいており、良好な避難場所が無いことは明白。ここで天国行きの切符を手に入れるつもりは無い。ヌメアに引き返す事も考えたが、幸い若水の菅原オーナーより以前立ち寄ったリフォー島の東側に良好なマリーナがあるとの情報を得る。1月7日午後2時思い出の地ヌベアを後にリフォー島のウェ町にあるポート・ウェに向かう。

3)ウベアからポート・ウェまで(1月7日―1月8日)

通常の航海であれば避けるべき気象状況だった。仮に洋上で同じ状況(真上り)に出会えば順風に変わる迄、ヒーブツーしていたであろう。当日の予想は、南東の風―平均10m/s 程度だが全行程向かい風。加えてこの地域独特の大型スコールに出会えば20m/s の風となる。午後2時に出航。機帆走で翌日正午遅くても日暮れまでには入港できると判断した。

ウベアの北岸を回り込むころまで、穏やかな海況が続いた。夜10時頃から、スコールが航路上を通り過ぎ、風雨共に強まる。一時仮眠を取るが、深夜0100時大型のスコールに出会い目覚める。風速15m/s 。逆潮のため上り角度悪し。リーウエイ30度以上の状態が続く。船首は東に向いているが、進行方向は北東。0400時、夜がわずかに白みかけた時にタックして進路を南に取り、目的地に向かう。0900時大型のスコールが来襲、最大風速20m/s を超える。波高は3m程度だが、潮のため不規則。0900時より目的地近くの岬を交わすため数回タック。1230時、突然風速計のデジタル表示が消える。風速を測定するマストトップの羽根車が壊れたらしい。(入港して判明したが、羽根車は壊れておらず、原因は電子機器の干渉によるらしい。現在調査中)

1400時、入港準備を終え、ポート・ウェにアプローチ。電子チャートで示されたマリーナの見取り図に従って入港するが、チャートに示されたマリーナの形状が実物と大きく異なる。北側に突き出た突堤の東側にマリーナの入り口がある筈だが、実際には既に埋め立てられており、突堤が少し(100m?)西側に移動されている。北側に突き出た突堤の西側に入り口がある。突堤(波止場)の内側(南側)は大型船の係留場所となっている。その奥にマリーナがある。1430時マリーナ事務所の近く、マリーナの一番奥の空いている浮き桟橋に舫を取り、無事入港完了。直ぐに気象海洋の馬場社長とヌメアの菅原(若水)に電話で無事入港した旨連絡。

事務所で入港手続きを済ませ、一休みした後、マリーナの隣のタイレストランでビール3缶、タイ風のカレーを食べて爆睡。

以上


若水再びヌーメアに戻る1月7日の若水のブログ(目黒さんの消息もちょっとあり)

2009年1月10日
1月12/13日に当地を通過すると予想されていた低気圧の影響が緩和されたとの事、ひとまず安心。現在マリーナには15隻のヨットが係留されており、5隻に人が住んでいます。先程、事務所のスタッフや彼らに低気圧の影響が軽減されつつある旨連絡済み。昨日ヌメアのカスタム/イミグレーションから連絡があり、正式な入港手続きをするため月曜日(1月12日)にヌメアにくるようにとの指示がありました。このため明日から(1/11−1/12または13日迄)ダーマをマリーナに残し、本人のみ空路ヌメアに行きます。この間の緊急連絡は、若水の菅原さん経由でおねがいします。
追伸;「ニューカレドニア島巡り」を添付しますので回覧お願いします。関連写真は別途(おそらくヌメアから)送ります。リフォーも良いところです。滞在中の近況はヌメアから戻り次第送るようにします。
目黒拝

待ち人 若水来艇1月9日の若水のブログ(目黒さんの消息もあり)

2009/1/14/10:23JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
15S付近の積乱雲は、1/17頃から活動が活発化し、15S-155E付近で低気圧性の渦に変わり、ゆっくりと南東進する可能性があります。
15S以北の風は、この擾乱の発生に影響され、現在の西よりから次第に北西風に変わる見込みです。
本船の北上は、15S付近から予想される北西風が障害となりそうで、低気圧の今後の動向次第ですが、ニューカレドニアから一旦西〜北西に進み、オーストラリア東岸沿いの南東風を利用して北上するコースしかないようです。


2009/1/16/09:45JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
メール受信順調です。
84hのWdMapを添付します。
15S線付近では引き続き積乱雲の怪しげな動きが予想されていますが、この一週間の間にまとまって発達することはないようですが、引き続き監視しますので、当面日本時間の午後5時にも一度メールを開いてください。


JST1月16日0600 船内時同日0800
19−42S/166−35E E7m/s COG320T SOG 5kts 快晴 1011hPa 30℃ 57%

予定より一日早め、昨日現地時間1500時(日本時間1300時)ウイ・マリーナを出航。当面現在の航路を維持。ニューカレドニアの北端のリーフを交わした後、定点15S/157Eに向かう。

出入港手続きのため、2日間ヌメアに滞在したときを除き、夕食は毎晩近くのタイレストランでとった。主人のジョゼッペは、ベトナム生まれのフランス人。フランスの誇るシングルハンダー、ベルナルド・モイテッサーと同じというところに興味を持った。フランス、オーストラリア、東南アジアで働いた後タイ人の奥さんと結婚しヌメアに渡り、6年前ウィに落ち着きレストランを始めたという。波乱に満ちた人生を感じさせない。何時も落ち着いて親切だった。

リフウであった人たちは概して親切だった。タクシーが無いので町に出るときは、マリナー事務所のエドモンが適当な車を探してくれる。エドモンは夏期休暇を利用してヌメアから来ているアルバイトの学生。一番世話になったのが、シルバーとジェニファーの若いカップル。2人ともフランスから来た、現地の教師。シルバーは、機械工学を、ジェニファーは英語を教えている。3人でいるときはもっぱらジェニファーが通訳をしてくれる。彼女はシアトル生まれのフランス育ち。出航日の午前中、散髪のため、彼女の友達のヘアサロンへ連れてってもらった。友達がジェニファーにお父さんと来たのかと聞いていた。彼女の父親はカンボジア人で子供の頃はシアトルでレストランをしていたそうだ。年配のアジア人の男性は皆父のように見えると言っていた。昨年50ftのケッチを手に入れシルバーは船に常駐、ジェニファは町に住んでおり時々船で寝泊りしている。何れ長期航海に出たいと準備中。

ヌメアではいつものように若水に世話になった。新たに宮古島から石嶺さんが参加していた。石嶺さんはかつて「ティダ:34ft 歌田設計」というヨットで関東水域を中心に多くの外洋レースで実績を残したヨットのオーナー・スキッパー。宮古島在住で医師が本職だったが、最近迄、宮古島の市長を務めていたそうだ。

2009/1/16/17:00JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
1/19の予想天気図を送ります。
特に発達する傾向は見られませんが、低気圧が一個本船の航路上にゆっくりと南下して来る予想です。この低気圧に注目。明日の最新情報で再度確認します。
明日も84hのWdMapをお送りします。


JST1月18日0800 船内時同日1000時
17−14S/165-00E NE5m/s COG350T SOG4.0kts うろ曇り 1010hPa 31℃ 60%

昨日1330時、航路上(18S/162E)を19日に低気圧が通過するとの情報に鑑み、これを避けるため、急遽方針を変更し北上することにした。その後東の風を受け順調に北上を続けていたが、夜9時頃より特大のスコールに連続して見舞われた。波も悪く、北上することが困難と判断し2300時より今朝0600時までヒーブツー。
出航以来、不眠が続き疲れも溜まっていたので休息を取る良い機会となった。現在は元気印で再び北上開始。前後左右に発達した大型の積乱雲があり、これに接近すると風向が30−60度変化するので、タックを繰り返し、大型のスコールを避けながら北上中。

1月18日日本時間1500時現在、ダーマの位置は17S/165Eでエスプリサントの南西150海里。先ほど長期予報を入手しましたが、全体に風が弱いのでここから機走でエスプリサントに向い給油します。ついでにバヌアツの匂いを嗅いでいきます。入港予定は20日正午。今度は先に着いて待っています。それにしても昨夜のスコールは凄かった。稲妻と雷鳴がひとしきり続き、風も20m/s以上。真夜中から朝までヒーブツーしていました。
以上
貴船の御安航をお祈りします。

JST1月19日0600時 船内時同日0600時
16−29S/165-45E NNE6−15m/s (航路上積乱雲多し。波高3−3m))COG55T SOG4.5kts 曇り・雨 1010hPa 28℃ 86%

おはようございます。船・乗員共に問題ありませんが急遽バヌアツのエスプレサントに寄航する事にしました。
ここで改めて気象・海況のチェックをし再出航します。近況以下の通り。

バヌアツに寄航する予定はまったく無かったが、状況と自分の気持ちが寄航したほうが良い方向へと向いている。同じことがフォークランド寄航時にもあったのでこれで2度目。こんな時は、自分の気持ちに逆らわない方が良いとの判断。昨夜より予想に反して海況悪し。数時間後には好転すると思われる。目的地まで残り100海里

2009/1/19/09:10JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
航路変更の件了解しました。
こちらからのメールは順調に届いているのでしょうか。積乱雲が活発である事は時に通信に支障をきたす可能性があるようですが。
バヌアツ近海の海況は、明日以降次第に積乱雲の動きも不活発化し、当面低気圧の発生もなさそうです。
WdMapデータも昨日午後より復活しました。本日データ配信先に行き、障害が起きていたルータの取替えを行います。
メールあるいはデータトラブルが起きるタイミングはいつも今日こそはという時。御迷惑をおかけしました。


2009/1/19/09:10JST
<馬場社長から目黒さんの情報>
ダーマより
2009/1/20/14:00JSTに目黒さんとダーマは無事バヌアツ共和国の北の島エスピリツサントス島に入稿されましたのでお知らせします。
同島出港は1/25-26の予定で、直接グアムかパラオかは風次第で未定です。


JST1月20日0600時 船内時同日0800
15−50S/167-03E NNE4m/s 晴れ 1010hPa 32℃ 57% 海況穏やか。

メール届いています。ルーターを取り替えたり、サーバーを整備したせいでしょうか?WDMも以前と比べ、スムースに入手出来るような気がします。
近況以下の通り。

ここ数日進行方向に風が振れ、ほとんどクローズホールドで走っている。ともあれ目的地(15−35S/167−15E)迄直線で25海里強。真上りになるので走行距離40海里程度。到着は本日夕刻。入国届けは明日になりそう。

バヌアツ便り
2009年1月20日(火)− 1月27日(火)

ニューカレドニアのリフー島を1月15日に出航。5日後の1月20日にバヌアツ(共和国)の北に位置するエスプレ・サント島の港町ルーガンビルに入港。バヌアツは83の島々からなり1980年に独立したばかりの若い国。首都は300km南にあるエフェテ島のポートヴィラだがエスプリ・サントは共和国内、最大の島である。そのエスプリ・サントのルーガンビルに着いてから今日で1週間経過。以下これまでの経緯を簡単に記載。

1月20日(火)1600時(日本時間1400)予定よりも少し遅れ、本港の波止場に舫いを取り、近くの税関で入港の申告を済ませその足でイミグレーションの事務所に向かう。入国スタンプを貰うには現地通貨で2000VAT(1バット=0.9円)必要との事なので、その日は書類のみ提出し、翌日改めて出頭する事にする。税関の検査官を伴い船内検査を済ませた後、3km対岸のアオレ島にあるアオレリゾートの固定ブイに舫いを取る。これで入港第一日目が暮れる。同じ頃、ヌメアを出た若水がバヌアツの首都のポートヴィラに到着。数日後にはアオレリゾートで彼等と合流する予定。

1月21日(水)
朝起きると、近くに数杯のカヌーが釣りをしている。長さ3m程の丸太を刳り貫き船腹から1.5m程のアウト・リガーを突き出しているカヌーには夫々1人から3人が乗り込んでいる。

アオレ・リゾートに渡るため、近くのカヌーに声をかけると、少し離れたところにいる一人乗りの1艘が近寄ってきた。身の軽そうな子供が上手に櫂を操り、直ぐそばのリゾートの桟橋まで運んでくれた。子供の名前はスタンレー。近くにいる船は兄や従兄弟たちとの事。

リゾートのオーナー夫妻(ケリー&アン)に挨拶をし、正式に係留手続きを済まし朝食。8時の水上タクシーで町へ。銀行で換金、イミグレーションで入国手続き、観光案内所で地元の情報を収集し町を散策。

小さい町の割には車が多く、とりわけ目を引いたのはタクシーの数が多い事。町を走っている車の6割以上がタクシーと書いた黄色い目印を車の上に載せている。海岸に沿って一本の舗装道路が続き、この両側に商店、レストラン、モーテル等が並んでいる。南太平洋の他の島々と同じように、ここでも経営者の多くは中国人のようだ。町のはずれの公園近くに青物市場がある。ここでネギとライムを買い近くのレストランで昼食。物価は驚くほど安い。現地の人たちも温和で人懐っこい。英語も通じるので自分にとっては住みやすそうな町だ。ワンガレイに滞在中の長期航海者が毎年5月になると南太平洋の島々に移動する。実際にを当地訪れてみて、バヌアツは彼等の人気スポットであることが理解できる。ただし現在はサイクロンシーズンに入っているのでプエルト・サントに係留しているヨットはダーマのみ。

若水が来るまでの間、ここでどのように過ごすか考えた末、翌日は近くの牧場で乗馬を楽しむことにした。田舎育ちなので、子供の頃農家の友達と近くの牧場で農耕馬を捕まえ裸馬に乗った事がある。ニュージランドで会ったヨット乗りから最近バヌアツでは日本に牛肉を輸出していると聞いたので、実際に牧場を観て廻りたいと思っていた。

リゾートに戻り、その日は潮騒の聞こえる海辺のヴィラで快眠。

1月22日(木)
朝8時、数人の観光客を乗せた水上タクシーが波止場に着くと30歳台後半を思われる女性が待っていた。ニュージランドから来たメギンさんは牧場の共同経営者で、彼女の受け持ちは250頭の馬の面等と乗馬のガイド兼インストラクター。以前オークランドで銀行のマネジャーをしていたが、馬が好きで現在の仕事を始めた。ご主人は建築業を営んでいる。

牧場は30キロ程の海岸線を有し、その海岸線から内陸まで平均15キロの広大なエリアを有する。現在肉牛が9000頭。最近和牛も飼い始めた。広さ、牛の数共にバヌアツ最大。道すがらそんな説明を聞きながら、間もなく現地到着。

独立前にフランス人が住んでいた瀟洒な白い建物の風通しの良い居間を挟み、一方がメギン一家の住居、他方が牧場主であるニコラスの居住区兼事務所。会社の名前は「MIRAI」。その時は気が付かなかったが「MIRAI」は未来の意。

通常はオークランドに住んでいるニコラスが偶々牧場に来ており、彼からより詳細な現地事情等を聞く機会があった。ニコラスは日系韓国人。米国で教育を受け、ニューヨークで金融ビジネスに従事。未だ40歳前の若さながらオークランドやスイスを拠点に国際的ビジネスを展開している。事業の一環として6年前にこの牧場を買い取り、最近本腰を入れ始めたという。

本日の訪問者は小生のみ。乗馬の準備が整い、メギンと共に出発。2時間の行程。牧童が50人いるそうだが、彼等の家族を含め、牧場内に1000人以上のバヌアツ人が住んでいる。彼方此方で子供たちが手を振り挨拶をしてくれるので、それに答えながらゆっくりと進む。ココナツ林を過ぎ、やがて遠浅の続く海岸線に近づく。そこから海の中へ乗り入れた。時には馬脚が完全に水面下に沈むので少し緊張する。牧場内の入り江や内陸部の放牧地を経由して無事乗馬終了。

この後ニコラス・ベギンと暫し歓談。別れの時、ニコラスからバーべキューに招待したいとの有りがたいオファーあり。若水が到着したら彼等と共に再訪問する事とし、メギンに送られ再びアオレリゾートへ。

1月23日(金)
終日リゾートで本を読み、ビールを飲みながら休息。夕方4時若水到着。乗り込み員は、艇長菅原さん、出航時より行動を共にしている沖縄出身の伊芸にらいさん、ヌメア在住の堀さん、そして宮古島から空路ヌメアで合流した伊志嶺さんの計4名。その夜はリゾートで歓迎パーティ。翌日は再び「MIRAI」牧場訪問予定。

以上

この後のバヌアツ滞在記は「若水」のブログをご参照下さい。
若水航海記 若水のブログ

ウベアからバヌアツまでの写真を数枚添付します。


ヌメアでお世話になった堀夫妻。イル・デ・パンにて


サイクロン来襲に備え、避難場所探し。ウベアにて


DAIGO の"wish" がバヌアツでも流行っている?




メギンとニコラス。MIRAI牧場にて。


水中行進。前より目黒、伊志嶺、堀、菅原の各氏。MIRAI牧場にて

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目黒さん寄港の → バヌアツ共和国の紹介
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2009/1/28/09:36JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
おはようございます。
現在15S-160E付近にある低圧部が、今後一旦西方へ移動しながら低気圧あるいは熱低としてまとまる見込みです。
直接の影響はない見込みですが、バヌアツ〜ソロモンの間は、低気圧に吹き込む北西よりの風が続き、日本時間の1/30以降は20kt前後まで強まる予想です。一方、165E以西の海域も、高気圧循環により、同様の北〜北西風が続く見込みです。
当分この風系が卓越するみこみで、帆走での北上は厳しい状況です。


2009/1/29/10:00JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
メール受領しました。ホニアラまでの航路のうち、ダイレクトは北西風で真上りのため不可。低気圧はオーストラリア東岸へと進み、ソロモン諸島東海域への影響は小さいので、一旦北上され、10S付近から真西へのコースしかありませんね。前半は北西ですが、10Sまで上がると北よりあるいは北東に変わっている可能性があります。風が20ktを超えることはなく、平均10-15kt。波高2m。ただし、10Sまでは引き続き積乱雲が多く分布していますので、ご注意ください。 いずれにしても機帆走が多くなりそうですね。

2009/1/30/10:15JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
今後一週間、低気圧の発生は予想されていません。 東方から気圧の峰が西方へのび、10S付近を挟んで北は東より、南は西よりの循環が続きますが、これも強弱と南北移動を繰り返します。
本日は北西風やや強く、波高も2m以上。明日以降は海況やや落ち着きます。
2/2以降この循環は南東に後退、全般に北西が卓越します。風速は20ktまで。


JST2月1日0600時 船内時同日0800時
13−46S/165−22E  NNW6m/s COG40T SOG3.5kts 薄曇 1002hPa 30℃ 70%

夜間NNE 6m/sの安定した風がありCOG 300Tを維持。夜明けと共にNNW−NWに振れタック。
現在まだ残り波が強く北東に向かって帆走中。

JST2月2日0600時 船内時同日0800時
12−46S/166−25E NE 8(6−15)m/s COG 30T SOG4.5kts 曇り・雨 1002hPa 27℃ 90%

昨日からスコールの頻度が増えていたが、夕方以降積乱雲の中に閉じ込められ、現在もその状態が続いている。
この海域は珊瑚海の一部で多くの魅力的な島が点在している。

昨夜はトーレス諸島の近でヒーブツー気味に過ごす。セール予想される最大風速にあわせ、船が北東方向に2−3ノットで走るの確認し朝まで安眠。

2009/2/2/09:45JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
貴艇の南15S付近には低気圧があり、これに向かって吹き込む北西風が続きます。積乱雲の活動もこの北西風によるところが大きいようです。
2/5以降、低気圧は南へ下がり、積乱雲の活動も小休止。


2009/2/3/09:00JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
若水、ダーマ両艇のメール受領しました。
若水艇の南西方には低気圧があって南下中です。更にその南にも今ひとつの低気圧があります。昨日からの北西風はこれらの低気圧に吹き込む北西風です。低気圧の南下速度はゆっくりとしているため、今日一杯は強めの北西風が続きます。若水艇は西よりにコースを取られていますが、このままでは強い北西風の中に居る時間が長くなりますので、一旦東〜北東へ逃げる事をお勧めします。風は2/4以降収まる気配です。

一方、ダーマ艇は本日まで北よりの風。明日以降徐々に北東へと振れてきます。風は特に強まる事はありません。


JST2月4日0600時 船内時同日0800時
11−29S/165−27E N6m/s COG 290T SOG 4.5kts 曇り・雨 1005hPa 29℃ 90%

昨日朝より目的地に向かい順調に帆走を続けている。今朝0300時、目覚めると小雨が降り、船が止まって伊いる。風は逆風(北西2−3m/)s。辺りは漆黒の闇だが、発達した巨大な積乱雲に覆われているのが想像出来る。本来なら北の風6m/s前後が吹いている筈。風が不安定なエリアを抜け出そうと機走したが1時間であきらめ、ヒーブツーして朝7時まで一眠り。その後又目的地に向かい帆走継続。目的地まで340海里。帆走に影響を受けそうな積乱雲は、一時停止したり、方向を変えたりしながら進んでいる。

2009/2/4/10:02JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
両艇のメール受信しました。
若水艇付近の海況は、徐々に安定。風は北よりで2/5以降北東に振れるでしょう。風速は20kt以下から10ktへ。
ダーマ艇付近は北東。風速15kt前後が続きます。ただし、波はやや高く2m。
活発な積乱雲は、今後低気圧の動きに伴い南下。
ご安着をお祈りします。


2009/2/4/15:00JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
明日以降の海況の見通しです。
低気圧は18S付近を南下中。このため、ソロモン近海の海況も回復に向かっています。

若水艇の航路上は北〜北東15kt。
ダーマ艇の航路上は北東10-15kt。


2009/2/5/09:43JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
若水艇航の路上はこの後風更に弱まります。積乱雲の目立った活動もほとんど見られません。
ダーマ艇の航路上では、北東風が今後更に東よりに振れてきます。風速は10-15kt。今日一杯前方に積乱雲の濃密な域があるかもしれませんが、明日以降はこれらも薄くなります。
10S線から西進されると、ほとんど真追っ手になりますので、適当なところから西北西に進路を変えられても良いかと思います。
両艇のご安着をお祈りします。


2009/2/6/09:10JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
おはようございます。メール受領しました。
本船はこれから島陰に入るようなので、外海の北東風もなくなるでしょう。
若水艇は昨夜2/5/20JSTに入港されました。
貴艇のご安着をお祈りします。


JST2月7日0600時 船内時間同日0800時
09−22S/160−28E SSE 3m/s COG270T SOG4.5kts(機帆走) 晴れ 1008hPa 29℃ 78% 目的地ホニアラ迄残り30海里

昨夜ガダルカナル島とマライタ島の間にある海峡(Indespensable Strait)に入る。太平洋戦争で最も重要な戦略拠点として日米が激烈な陣地争いを繰り広げた時に米国側で命名したのだろうか。海峡は静かで、月明かりの下で食事も睡眠も十分とる事が出来た。ガダルカナル島のホニアラはソロモン諸島の首都で目的地はポイントクルズヨットクラブ。既に到着した若水より、沖合いの固定ブイ(9−25S/159−57E)に係留しているとの連絡あり。固定ブイへの到着は現地時間1500時(日本時間1300時)を予定。

JST2月12日0900 船内時同日1100時
本日現地時間0945 若水と共にホニアラを出航。次の目的地はソロモン諸島のギゾ(GHIZO)。
ホニアラよりラムラインで200海里。
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目黒さん寄港の → ソロモン諸島、ガダルカナル、ギゾの紹介
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2009/2/12/09:45JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
メール受信順調です。天候の予想は、熱帯収束線の動きが不活発なため昨日より良くはなったものの、衛星画像からは積乱雲が点在している様子が見られます。
風は、基本的には東〜北東の場ですが、積乱雲等の動きで不定。
天候の急変には十分ご注意いただき、ギゾへの両艇の後安着をお祈りします。


JST2月13日0600時 船内時同日0800時
09−12S/158−17E NNE5m/s COG280T SOG 4.5kts(機帆走) 曇り 1008hPa 27℃ 90%

昨夜は長時間のスコールあり。ジブを巻き取り。半分以下に縮帆したメインで機帆走。早朝より北北東の風が安定し、目的地に向け順調に航海を続けている。

2009/2/13/09:25JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
航路上には引き続き積乱雲が分布。時々スコールあり。
気圧配置からの風は北東系、10kt前後。
雨、視界、突風等に気をつけて航行してください。


2009/2/13/09:25JST
<馬場社長からのニュース>
2/10ロシアの廃棄された衛星とイリジウム通信衛星が軌道上で衝突しました。
金曜までに失われた衛星の機能を他に移行する作業を完了しますが、それまで、多少の影響あるかもしれません。
なお、今後30日以内にスタンバイ衛星を準備する予定です。


2009/2/17
<馬場社長から目黒さんの情報>
本日2/17、目黒さんより電話があり、明日以降の海況を見てグアム向け出港するとのことです。 取り急ぎご連絡まで。

2009/2/18/10:07JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
メール受領しました。
赤道までの航程で、シッカリした北東風が吹き出すのは2/24から。
それまでは東よりの風が主ですが、風向、風速共に不定。
グアム近海の海況は、日本付近を移動性高気圧が通過するたびに風波が強まる傾向にありますが、風向と波向きは一致しているため、海況的に特に悪いという状態ではないようです。
出港されたら、また、定時の連絡メールをお願いします。
Bon Voyage


ソロモン便り 平成20年2月18日ギゾにて
1月30日にバヌアツのエスプレサントを出航し、ソロモン諸島のガダルカナル島の首都ホニアラに入港したのが2月7日。バヌアツを同時に出航した若水は既に到着しており、その近くに投錨。ホニアラを出航したのが2月12日。現在の投錨地であるギゾに到着したのが2月14日。一昨日(2月16日)の朝、若水の菅原さんと伊志嶺さんが空路ホニアラ経由で一時帰国。ギゾに戻るのは2月の末との事。菅原・伊志嶺両氏を見送った後、停泊中のの若水に残った伊芸さんの手を借りながらグアムへ向けての出航準備を進め、合間にソロモン便りを書いている。

ソロモン便りを書き始めるのが遅れたが、その理由は3つ。第一は日中34℃を越える猛暑が続き頭が茹で上がり、無気力状態であった事。加えて入港前から飲みだしたマラリア予防の抗生物質が与える胃の負担が大きく重苦しい気分が続いている。第2は、日中毎日のように停電があり、町一番のギゾ・ホテルでさえ、インターネットが使えない状態が続く。インターネット・カフェは冷房が効いているで極めて居心地が良い。ただし停電ともなればそのメリットは消え、居心地の良い若水に戻り、冷たいビールを飲み、食事をし、その合間はゴロゴロしてしていた。第3の理由は、或いはこれが一番大きな理由かもしれないが、ソロモンーガダルカナルと言えば太平洋戦争で最大の激戦地。ソロモン便りとなれば、この件に触れずばなるまい。どのような切り口でこの問題に触れるべきか整理しきれないままに時が経過した為である。ともあれ出航が迫ってきたので前に進める。

以下「男たちの大和:頁159」辺見じゅん。ハルキ文庫より引用。
昭和18年2月1日、4日、7日と3度に渡り延べ58隻の駆逐艦が島に接近した。米機の空襲を受け、駆逐艦一隻が沈没、2隻中破したが、将兵1万6百65人を撤収させた。こうして島は放棄された。ガダルカナル島を守備していた日本軍は戦死及び戦病者2万5千人余といわれる。大半は餓死とマラリアによる病死である。ミッドウェイの敗戦を転機に、太平洋における日本の勢力図は逆転し、ガダルカナル放棄がそれに拍車をかけることになった。
引用終わり

2月8日、到着した翌朝9時「中京テレビ」に勤務する大島健治さんが、単身太平洋戦争の激戦地の取材に来ており、若水の菅原・伊志嶺両氏と共に、ガダルカナル島激戦地の取材に参加する機会を得た。30歳後半の大島さんは、自分が提案するテーマが勤務するテレビ局に認められ、沖縄などを含め、これまで数回にわたり激戦地の取材を続けている。彼によれば、この取材は会社の研修制度の一環で、報告者を提出する以外に特別な義務は無い。しかし沖縄での取材結果は社内で認められ、放映されたとの事。今回の取材期間は2日間、今日はその最終日。偶々若水が前日夜、ホニアラアで最上級と言われる北野建設が経営するメンダナ・ホテルの日本レストランで夕食をとっている時、大島さんと居合わせ、取材に同行する事となった。

案内役は、地元の青年フランシス。フランシスはソロモンを代表する青年の一人で、「青年の船」で数回に渡り世界中の若者と交流。日本も数回訪問、かなり日本語が話せる上ガダルカナルの戦史に詳しい。彼が運転するランドクルーザーに総勢5名が乗り込み、ガダルカナルの西部地区に向かう。30分走ったところで、大きな川に出合う。数日前の大洪水でこの橋が流せれ、復旧工事が始まったばかり。20人近い現地人が工事の進捗を見守っている。子供連れも多い。何をしているのかと聞くと「見ているだけ。」との回答あり。交通が遮断されている為その日の訪問地はホニアラ郊外での限定された場所のみとなった。

訪問地の多くは10年ほど前に建立された数箇所の慰霊碑と朽ちかけた船体の上部構造がが海岸近くにむき出しになっている鬼怒川丸。偶々鬼怒川丸のサイトでホニアラ在住のJAICAの2人の隊員と会い現地の生の情報を聞くことが出来た。隊員の一人はアフリカを中心の長い間現地勤務を続けているベテランのコーディネーター。もう一人は神戸大学から派遣されたマラリア対策の若い専門員。同行した伊志嶺先生は最近まで15年間「宮古島」の市長を務めていたが、本職は医者。宮古島でも昔はマラリアが流行したために、マラリアについては詳しい。いきおい話題はマラリア対策となる。ホニアラを中心に局地的には改善されているが、ソロモンは多くの島からなり、島から島へと住民(感染者)の移動が激しいので、根絶するのは困難との事であった。

ガダルカナル島の車道は海岸線の一部にのみ通じており、多くの激戦地は、現在でもジャングルに覆われ、徒歩で数時間かかる、又当時の地雷や兵器が残されている等々。フランシスのようなベテランガイドでも簡単には訪問できないようである。そのため激戦地の麓に建立された幾つかの慰霊碑を訪れることしか出来なかった。その中で印象に残ったのは戦争当時、15歳頃日本軍に参加した古老とその家族達であった。彼(ブルーノ・ナナ氏)は、日本軍のみならず、敵味方の区別無く傷病者を救出した地元の英雄の一人。ブルーノ・ナナさんは健在で、大家族と共に住んでいるが、家の近くに米、英、豪、等の連合軍の慰霊碑を並べて日本軍の慰霊碑の敷地を提供しその慰霊碑の管理もしている。戦う事を是として参加した職業軍人はともかく、日本各地から不本意ながら家族を残して強制徴兵され、訓練され、戦う事も無くマラリア初め疫痢で無くなった人々の悲惨さ、無念さを思うとやり切らない思いが、重く心の中に沈殿する。

フランシスや訪問先で出会った現地人の話しを総合すると、先にガダルカナルを占領した日本軍に、現地の若者が徴用された。しかし日本軍の補給が乏しく、言葉が通じない上に見返りの無い強制労働が続き、島民の大部分は反日運動に傾いたようだ。戦後暫くの間は強い反日感情を持っていたが。戦後二世代が経過、最近の島民はむしろ親日感情を持っている。幾つか見た慰霊碑の建立日の大部分は10年前であったことから、反日感情が親日感情に変わり始めたのは15年前辺りからと想像される。おそらくそれ以前に訪れた遺族の方たち、ソロモンで活動している日本企業他関係者の努力の賜物で有ろう。

バヌアツでもJAICAを通じて現地で活躍している日本の若者に出会ったが、ここソロモンでも多くの若者達総勢15名が活躍している。とりわけギゾに勤務する唯一の在留日本人の奥間さん(28歳)は素晴らしい。彼は沖縄出身で理科大、琉球大学の大学院で数学を学び、現地の高校で数学を教えている。偶々若水で留守番をしている伊芸さんも沖縄出身で年恰好も近いことから、ここ数日は毎日のように会い古い友人同士のように親交を深めている。週末には2人でサーフィンを楽しんでいた。

ソロモンの首都ホニアラでは、急激な都市化に不況が重なり失業率が高い。そのため治安が悪く、若水が到着した夜、オーストラリア人が所有している隣のクルーザーで盗難があった。又投錨地も少し風が吹くと波が出て、気の休まらない所だった。一方ギゾの投錨地は島々に囲まれ大変居心地が良い。人々も温和で治安やマラリアの心配も少ない。
ヤマハやスズキの船外機を搭載したFRP船が増えてはいるが、手作りの丸木舟(カヌー)が今でも一般的な交通手段。毎朝近くの島々からカヌーがギゾ・タウンに向かって集まる。最初の一団は通勤と通学。続いて野菜・果物、魚を積んで近くの市場に集まる。日が暮れる頃には何とか売り切れているようだ。

以下現地に溶け込んでいる奥間さんの話。 高校を卒業して勤めるのは半分、残り半分は遊んでいる。遊んでいる人達の世話は近所に住んでいる知人がする。これがこの地方のルール。沢山収入のある人の所へは、沢山の無職の若者が集まる。地位が高く収入のある人がこの無職の若者達の世話を怠ると村八分になるそうだ。
若者(男子)の結婚の条件は3つ。丸木舟を作れる事。家を作れる事。園芸が出来る事。

最後にギゾに対する印象:企業に勤める事なく、一見遊んでいるような若者達は、遊びを通じて、この島で生きていくための知恵を学んでいくのだろう。天然の幸が豊かな森と海に囲まれ、狭くなりつつある地球に現存する最も豊で平和なところに思える。奥間さんは天国のような所だと言っていた。

以上

ダーマからの写真を添付します


洪水で橋が流され交通遮断。左より大島・伊志嶺・フランシス・目黒


JAICAの隊員にマラリア対策を聴く@ガダルカナル


慰霊碑の一つ@ガダルカナル


戦没者の冥福を祈る大島氏


丸木舟で出迎え@ギゾにて


帰国前の菅原・伊志嶺両氏

2009/2/20/9:40JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
赤道までの海況は、今日〜2/22まではやはり風弱く不定。2/23以降、北半球の高気圧の勢力が増すため、グアム近海は北東風強まります。この影響で赤道以南でも10kt前後の北東風が吹き始め、日を追ってシッカリしてくるでしょう。

平成20年2月20日
赤道までの風が不安定なので出航を2日程遅らせています。本日(2/20)出航手続きを済ませ、21-23日の間に出航する予定です。数日前から、スコールが多く、若干過ごしやすくなっています。あまり降りすぎると洪水の心配がありますが、今のところ問題なさそうです。
PS;先日お送りしたソロモン便りに関係する写真を一枚別送しますので配布方宜しくお願いします。

2009/2/19/10:10JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
了解です。 ソロモン近海など、赤道付近は数値予報泣かせの海域なので、何ともいえませんが、2/23以降は北東風がややシッカリしてくる見込みです。
積乱雲は5N付近まで東西に帯状にのび、今後も短周期で消長を繰り返しそうです。
ところで、ギゾから北へ向けてはどこを通過される予定でしょうか?


JST2月23日0600時 船内時同日0800時
7−23S/157−55E WNW4m/s COG 00T SOG 4kt 機帆走 曇り 1006hPa 28℃ 87%
夜間4−5m/sの風が北から西に振れ、その後西北西に変化し、次第に弱まる気配。
現在南東ー北西に延びるマニング・ストレートを横断しながら北上中。

追伸;WDMに関するお願いです。

1)何時頃からかは不明ですが、マップに気圧が表示されません。
  大まかな等圧線と気圧があったほうが理解が深まります。

2)ナビゲーションの時の予想航跡図が白色で表示されるため、波の無い海面(白色で表示)での航跡が極めて観にくいのが現状です。航跡の色を見やすい色に変更して頂けないでしょうか。

JST2月24日0600時 船内時0600時
05−42S/158-07E NE2m/s COG00T SOG4.5kts、機走 曇り・晴れ 1004hPa 28℃ 83%

深夜0時頃、目覚める。波悪く、艇速が2ノット前後。プロペラに浮遊物が絡んでいる可能性もあるので、一時プロペラを逆回転させる。その後ニュートラルで最大4000回転まで数回空ぶかしをし元の巡航速度(1800回転)に戻す。速度低下の原因は不規則な迎え波のようだ。3時間ほど様子を見て艇速が戻ったので再び就寝。

エンジン空ぶかしの理由だが、若水の左側エンジンが不調となり、ガダルカナルのホニアラで専門家に見てもらったところ、燃料噴射弁がカーボンで詰まり、シリンダーの一部に燃料が供給されていないのが理由と判明。燃料弁を取り外し工場でクリーニング・圧力テストをした結果、元に戻った。ダーマのエンジンも最近パワーが落ちてきているような気がしたので、同様の整備を実施。噴射弁はさほど汚れていなかったが、一安心。シリンダー、とりわけ噴射弁のカーボン付着は長時間低速回転を続けた場合に生ずる可能性が高い。ヤンマーエンジンのマニュアルには、低速回転を続けた後、カーボンの付着を防ぐため「最大回転での空ぶかしを数回」することが記載されている。ダーマのエンジンはボルボで、マニュアルには「空ぶかし」の事が記載されていないが、最近はエンジンを止める前、長時間使用している時は一日一回、空ぶかしを実施するようにしている。

JST2月25日0600時 船内時同日0800時
04−03S/158−30E NNW3m/s COG20T SOG4kts 機走 晴れ 1005hPa 31℃ 71%

台湾土産にしっかりとした貿易風お願いします。過去3日間、風は夜間北、日中は北西2−5m/s。
潮の関係から、又東の風を早く捕まえるため、北北東に向かっています。

JST2月26日0600時 船内時同日0800時
ENE5m/s COG 00T SOG 4.5kts 晴れ 1007hPa 30℃ 73%

昨日午後より機帆走。深夜0100時より東北東の風5m/sが安定してきたので、機帆走から帆走に切り替え。
北東風が吹くことを考慮し、当面目的地に近付くよりも緯度を稼ぐ事を優先。明日中には赤道を通過できる見通し。

JST2月27日0600時 船内時 同日0800時
00−40S/158−42E ENE7m/s COG345T SOG 5kts 晴れ 1004hPa 28℃ 88%

深夜特大のスコールに見舞われたたき起こされたが、それ以外は順調な航海が続いている。
安全を期し、小さめのセイルを展開している。

2009/2/27/09:50JST
<馬場社長から目黒さんへの気象情報>
おはようございます。メール受信順調です。
本船は偏東風域の中に入っています。2/28頃までは風の強弱があるものの、3/1以降北東〜東北東で安定。風速は本船の北上に伴い徐々に上がり、3/1頃は15-20kt、波高2-3m。10N付近に到達する3/6頃は20-25kt、波高3-4mが予想されます。


JST2月28日0900時 船内時 同日1100時
01−20N/158−07E NE7m/s COG330T SOG5.0kts 曇り 1006hPa 30℃ 75%

昨日夕刻1700時、東経158度32分で4度目の赤道通過。とりあえず冷えたビールでも飲もうかと準備していると、赤道通過する1時間前より風が落ち始め、かまわず帆走を続けながら赤道際の前祝。風が弱くなったため、通過前にビール2本、日本酒2合、ワインの小瓶をあけて出来上がる。通過後も引き続き風弱く、はその夜零時時まで機帆走。日暮れ時、細い2日月が見えたがそれもつかの間、黒雲にかき消され、その後は断続的にスコールと突風。セールを降ろし機走で北に向かう。早朝0300時、風向。風速共に落ち着いたので帆走開始。今朝10時まで睡眠。
日本の感覚では当分真夏日が続くが、北上を続け赤道を過ぎた頃より、少し涼しくなりつつある。
      「二日月、よいで迎える赤道越え、、季節がかわる、二段とびして」



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