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2006年6〜10月

目黒さん7月15日から8月30日まで日本へ帰国
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whangarei map
DHARMA単独世界一周航海日誌   2006年6〜10月             戻る

6月11日(日曜日)午後8時
馬場様
ご無沙汰しております。通信関係の設備が未完成でイリジュームのテストも遅れています。テスト通信今しばらくお待ち下さい。以下近況をお伝えします。

銚子マリーナを出航してから今日で丁度一年になる。当初の予定では今頃アメリカ東海岸に沿って北上している筈だが実際のところ航路を変更し、ニュージランドのワンガレイで艇の整備に追われている。

問題のチェーンロッカーは一度完全に修理をしたが、結果が気にいらず改めて修理しなおしている。チェーンロッカーを更に掘り下げ、チェーンロッカーに流れ込んだ海水をビルジポンプで汲出すことにした。これまでビルジポンプは艇体後部のロッカーに一台あるのみ。新たに前部にもビルジポンプが付くことになる。デッキの漏水は総て取り外し改めてコーキングした。漏水が一時的に止まっても、時化た海で長期的に揺すぶられると100%水止めすることは困難なので艇体の前部と後部に改めてビルジ溜りを設けることにしている。

又艇の左舷にあった通信設備を総てまとめて右舷のチャートテーブルの前面に設置することにした。このため頑丈なコンソールパネルをヤード内にある造船所に頼んで作って貰った。アマチャ無線を利用してEメール他気象データも入手できるように専用のモデム(sailmail,winlink用製品名:Pactorドイツ製)を取り付けテストをしたが無線のグランドが十分効いていないことが解り、チューナーをアンテナの直下に移し、そこから新たに専用の銅版を船底に取り付けることにしている。この銅版は面積10cm*20cm、厚さ1cm程だが肺細胞のように内部に空間があり、総面積は40平方フィート(3.6平方メートル)あるそうだ。

この作業に伴いアンテナやパワーケーブルを引きなおしているがこの作業に手間取っている。船が小さいため何か取り付けたり移動したりするとそれに付随した作業が発生する。先日ウインドベーンを取り付けたが大きなベーンがウインドジェネレーターのポストに干渉するので右舷後部にあったウインドジェネレーターを左舷の少し前に移動した。出航時には造水機を取り付けていたが、結局のところ壊れたときの事を考えいつも予備の水を積んでいるので思い切って造水機は取り外した。それにより造水機と其のスペアパーツ分のスペースに余裕が出来た。とにかく船の大きさに比べ積荷が多すぎる。これまでの航海の経験から不要・不急の積荷を降ろし必要最小限に抑えることにしている。

忙中閑ありで時々近くのゴルフ場で早朝9ホール回っている。6ヶ月限定の会員費が2万円強。たまに地元のゴルファーと回ることもある。お陰で体調はすこぶる良好。とにかく良く眠れる。毎日最低8時間は寝ている。お陰で数年若返ったような気がするがきっと気のせいだろう。

7月9日(日曜日)現地時間午後9時
作業が2週間程度おくれ一部重要な作業も残す事になったが、日本に残っている家族の事もあり一次帰国することにした。日本の滞在期間は7月15日から8月30日まで。9月始めに戻ったら1カ月程度で総ての作業を終え、その後数週間テストセーリングを行い、10月末までには出港準備を完了させる予定。

残った作業の一部は地元の業者(主にマスト関係、電装関係及び船内工作の3社)と打ち合わせを繰り返し、自分の不在中にも作業を継続してもらうことにした。主な作業はマストのトップにレーダーディテクターを取付けること。マストの中には既に航海灯、風向風速計及びレーダーアンテナの3本のケーブルが入っている。航海の始めには気がつかなかったが、途中からマストの内部でケーブルの動き回る「パッタン、パッタン」という音が気になっていた。長期間これが続けばマストの内部でケーブルが擦り切れショートすることになる。この際マストを倒し内部に2本の導管(直径2cmの塩ビ管)を通すことにした。1本はマストトップまで、2本目はスプレッダーのレーダーアンテナを収容するため。ついでにレーダーアンテナの下に作業灯も取りつけることにした。

この作業が終わる迄船内のケーブル配線が終わらない。計器類をデッキのコンパニオンハッチの上、通信機器とチャートテーブルのコンソールパネルにまとめたのでこれまでと比べ格段に使いやすくなったが、そのため殆どの配線を引きなおすことになった。

ケープホーンに向かうに当たり、船内の湿気が気になっている。理由は寒さから逃れることもさることながら、パソコンやGPS等の電子計器に不具合を生ずること事。これを解消するためカナダで取付けたディーゼルヒーターのテストを何度も繰り返した。始め思ったように点火せず、火力も弱く、不完全燃焼がで煙突から煤煙がでる。デッキの周りが煤で真っ黒になった。原因はトンガで仕入れたディーゼルの品質にあると判明。つまり精製が悪く粘性が高いので、温度が下がると燃料の流れが極端に悪くなる。色々トライした結果ケロシン(灯油)を使うことにした。問題は灯油の粘性が低いため火力が強くなりすぎるのでノズルを極端に絞り何とか安定して燃焼できるようになった。燃費は1リットルで約6時間。日本のように灯油ストーブが普及していないのでケロシンは1リットルのペットボトルで売っている。今後揺れた船内でも給油できるように工夫が必要。

今日は久し振りにワンガレイクルージングクラブ主催のレースに参加。前回はベアエッセンシャルに乗せてもらった。数日前クラブで顔なじみになったマイルスが船底チェックのためマリーナで上架。彼より「最近クラブに顔を出さないじゃないか。今週末はレースがあるので予定がなかったら俺の船に乗らないか?都合かつくなら金曜日にクラブで会おう。」との誘い。有り難く申し入れに応ずることにした。毎週金曜日はクラブでディナーを用意しラッフル(宝くじ?)を行っている。彼の船「エンプレス:32ft」はニュージランドの特産材「カウリ」で出来たシングルプランキングの木造艇。建造は1952年。半世紀以上前に出来た船を丁寧に維持しクルージングやレースを楽しんでいる。クラブのメンバーピーターは現在86歳、彼の船は船齢104歳。22ftのオープンデッキのとても魅力的なヨット。「俺の方が船より少し若い。」とピーターは意気軒昂。

自分はカメラマンのつもりで乗り込んだが、いつも5人はいる常連メンバーが今回は自分も入れて4人。カメラマンだけでノンビリ乗ってはいられない状態。出航前艤装と手伝いながらそれでも気にいった風景、クラシック艇、艤装などパチリ、パチリ。クルーのイアンがシャックルを外すのに手間取っているのでポケットからシャックルキーを取り出した瞬間同じポケットに入れていたカメラがポトリ。デッキで一度弾んだ後そのまま海面にポチャリ。一台しかないカメラが海の藻屑になりました。今日レースの風景を撮ったらパソコンで整理しようと思っていたが、と言うわけで今回は写真付きのレポートは無し。トホホ。。。

レースの方はいつものようにベアエッセンシャルが他を寄せ付けずダントツ。快晴の中スピンスタート直後に全艇スピンを展開。途中スコールが通過。しびれるような寒気が続く。じりじりと後続艇に追い上げられるが何とかビリにならづにフィニッシュ。レーテングが高いので多分クラス優勝できたと思う。とマイルスはご機嫌。自分は明日最後の作業と打ち合わせをしてオークランドに向かうので準備のため早めに引き上げる。12日にオークランドを発ちバンコク経由で15日成田到着予定。

では又。

7月15日(土)タイ時間 6時AM 日本時間8時AM
残された作業が気になったが、予定通り7月12日オークランド発15:20 タイエア990でバンコックへ向かう。
7月10日はオークランドのクラウンプラザで一泊、11日はオークランド郊外に住むスチーブ宅で一泊。オークランドでは気がかりの一つ発注済みのライフラフト(米国WINSLW製)の行方を追跡。これまで積んでいたフジクラのラフトは6人用で重く(40kg)嵩張るので、本当に必要な緊急時に一人で取り扱うのはかなり困難。迷った末軽量でヨット用として実績のあるWINSLOW社(米国フロリダ州?)の製品と交換することにした。発注してから既に10日経過。ワンガレイに到着しているはずのラフトの行方が判らず心配。米国の独立記念日(7月4日)と週末が重なり11月11日朝にやっと連絡が取れる。ラフトラフトは7月5日既にオークランドの飛行場に到着していたが、危険物扱い(CO2のボンベが含まれているため?)となり飛行場で直接引き取らなければならないとの事。

11日
当日セミナーに出席していたスチーブと午後会い、一緒に飛行場にある税関で無事引き取ることができた。車と新品のラフトをスチーブに預け、翌朝予定通り飛行場に向かう。電子処理されているから問題ないといわれていたチケットが土壇場(チェックインカウンター)で機能せず、近くの代理店で改めて発行されたチケットを手に入れ何とか無事搭乗。バンコック着同日午後11時。ホテル(モンテイン・リバーサイドホテル)に着いたのは深夜一時ごろ。

13日早朝
今春バンコックに現地会社社長として栄転したTBF(レーザークラス、東京ベイフリート)の佐藤さんとはニュージランドを発つ前に連絡が取れ、当日早朝ゴルフをすることになっていた。2時間ほど仮眠を取り、5時少し前にロビーへ下りると暗闇の中で佐藤さんが待っている。そのままバンコックの郊外にあるレイク・ウッドゴルフクラブで6時から11時まで18ホールをプレイ。早朝貸しきり状態で旧交を温めながらのプレイは最高。昼食後佐藤さんは職場へ戻り、自分はホテルで休憩。夕方は佐藤さんが所属する日本人有志の潜水クラブの例会に参加。場所は日本人居住者が多いクンビット地区の居酒屋「田舎っぺ」。昨年6月出航以来外地で日本人主催の会合に参加するのは初めて。むしろ新鮮な感じがする。
メンバーは百人を越えるとの事だが当日集まったのは自分を入れて12名。内4人は若い女性。いつもながら若い女性のバイタリティーに感心する。幹事の杉田さんの司会で打ち解けた雰囲気ででの会話が弾む。一年程度の短期在住から15年目になると言う高木さん(商社系ゴルフ場の責任者)まで職種はさまざま。自分は久し振りの日本食(田舎料理)を堪能。佐藤さんが手にしている案内状では閉会12時となっているが翌日6時にはツアーガイドが迎えに来るので、再会を約して早めにホテルに戻る。

13日
丸一日空いているのでこの日はタイの古都アユタヤへのツアーに参加。往路はバス、帰りは船でメコン(チャオプラヤ)川の船旅。日帰り可能で魅力的なツアーは2つある。一つはクワイ川。映画「戦場にかける橋」の舞台となった所。もう一方のアユタヤは江戸時代初期鎖国に入る前、御朱印船を中心とした東南アジアとの海上貿易の中継点となった南洋日本人町のひとつ。

戦争を知らない若者達のハシリである団塊の世代に属する自分にとって、機会が許す限り過去の大戦の傷跡をこの目で観、自分なりに太平洋戦争の位置づけをしておきたいとの思いもある。が今回は少し歴史を遡り、江戸初期迄発展したが、鎖国政策により切り捨てられ、取り残され、消滅した南洋日本人街を訪ねることにした。バスツアーでは40人程度、川下りでは80人程度のツアー客が参加。中国人と思しき若い男女のグループ数人を除いて総て欧米人。ツアーの殆どは復活保存されている旧王朝の建物、仏閣、主としてビルマとの国境争いとマレー系のイスラム教徒との戦いに結果廃墟となった城郭(仏閣)などに見学。残念ながら旧日本人街については何の説明もなく側を通り過ぎただけ。日本と同様、異国との付き合いは大航海時代の覇権国の勢いにしたがいポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリス等。がとりわけ中国との繋がりが現在でも極めて深いことをガイドは繰り返し強調していた。日本が江戸時代に鎖国政策を取らず、引続き貿易を続けていたら日本の状況は大きく変わっていただろうと強く感じさせられたツアーでした。

成田に到着する直前に「ペリー艦隊大航海記 朝日文庫 大江志乃夫著」を読み終えた。この本は大航海時代に遡りコロンブスのアメリカ大陸発見も含め、黒船を従えたペリーが浦賀沖に現れた歴史的背景、ペリーの使命等をアメリカ側に立って解説した本。奴隷解放の切っ掛けとなった南北戦争は、奴隷制に対する人道主義に発したものではなく「欧州の飢饉などを背景に已む無く新大陸に渡った開拓者たちの求める新天地建設が、南部奴隷制度に支えられた大農場経営に阻まれために生じた。」と看破している。又あとがきで以下の2点が印象に残ったので引用する。

*19世紀の半ばにペリーはシンガポールが既に華僑の都市であることをペリーは見抜いていたが、20世紀も半ばを過ぎようとする時期にシンガポールの華僑を敵にまわしたらどうなるかを見抜けなかったのが日本であり、1942年2月にシンガポールを占領した日本軍はここで華僑の大虐殺を行った。大虐殺事件の結果、この地を中心に東南アジアに張り巡らされた華僑経済のネットワークを破壊し、日本は「大東亜共栄圏」の夢を自らつぶしてしまった。ペリーが短時間の寄港で得ることの出来た知識を、それから90年後の日本軍は知ろうともしなかった。

*東京湾で行われた戦艦ミズーリ号での日本の降伏に対する調印式に、かってペリーが東京湾に翻した星条旗を本国のアナポリス海軍兵学校から取り寄せ調印式場の壁にかざった。

以上

7月18日(火)12時 千葉県我孫子市の自宅から
7月15日午後7時30分予定通り成田着。学生時代から続いているヨット仲間の橋本さんが偶々グアムに家族旅行をした帰り。彼の便は15分前に成田到着。お互いの住まいも車で15分ほどの距離。既に彼の家族は娘さん夫婦の車で帰宅。自分は彼の車で無事帰宅。

日本は連休。久し振りに自宅でノンビリ。昨日は夫婦で映画「ダビンチコード」を鑑賞。噂にたがわずスケールの大きい映画だった。戦乱の火種は世界中にゴロゴロあるが、にもかかわらづ大勢としての平和=>言論の自由=>歴史的・宗教的タブーへの挑戦が可能となっている証のように感じられた。最近は日本でも古来伝わる多くの寓話と天皇の系譜との関係について、歴史的考察がなされてきているょうだ。二人で映画を見るのは「タイタニック」を観て以来3年ぶり。

以下バンコックで送付できなかったメールです。

10月4日(水)近況報告
こんにちわ目黒さん
10月2日に村田さんが来社されました。とてもお元気で、航海中のノックダウン(就寝中に一回)の話や、最終アプローチでのあわや北米上陸など、いろいろお話頂きました。
テスト航海は如何でしたか?お忙しいとは思いますが、時折近況をお知らせ頂ければ幸いです。HPの方も休眠状態なので、ニュースあればご紹介させていただきたいと考えています。
また一度イリジウムでの通話およびメールテストもお願いします。
 馬場

了解しました。先日御社を訪問したとき伺った時のお話を含め、村田さんの航海の方が自分より相当大変だったとの印象を受けています。村田さんご苦労様でした。いずれお会いしてじっくり四方山話をしたいと思っています。

さてこちらの問題に移ります。オークランドの友人と2人でテスト航海をしてきました。出航後まもなくワンガレイ川の航路標識に接触、パルピットと船首の一部を破損。不注意が原因のまったく初歩的なミスです。その日は河口の入り江に投錨して一泊。翌日はツツカカマリーナで一泊しました。復路ツツカカからワンガレイまではスコールに見舞われ10〜15m/sの追っ手で走りましたがウインドベーンやオートパイロットなど予想通り機能することを確認しました。入港まで10海里のところでインペラーの破損でエンジンが停止。慌てて出航したためスペアがなく最後は通りがかりのヨットに曳航してもらうと言うおまけまでつきました。帰港後修理や保険の手続きに追われバタバタしていたところです。

又過去2週間SAILMAIL(アマ無線を利用したe−mail)用に購入したモデムのテストが上手くいかず苦労していました。オークランドの専門店で無線機を調べてもらった結果、日本国内で販売している無線機(八重洲FT857)ではモデムの相性が悪いということでした。(実はそのため数ヶ月前から現地はもとよりドイツやオーストラリアの専門家に何とか使えるように知恵を絞ってもらったのですが)結局海外で販売している同じタイプの新しい製品(FT857D)を先ほど米国に発注したところです。

10月中旬までに出航準備を終える予定でしたが2週間程遅れそうです。保険会社の承認を得るため査定官が月曜日まで休暇で今週は本確的な作業が出来ないので、その間搭載品の仕分けや整備をしながらこれまでの経緯をまとめることにします。又一両日中にイリジュームの方からも連絡します。

10月16日(月曜日)
ご無沙汰しております。久々のワンガレイ便りです。

記録では9月3日にワンガレイ(ニュージランド)に戻っているので既に一ヶ月半が経ち、予定出航日まで一ヶ月足らずとなってしまった。7月後半から8月末までの間、帰国中にも業者による作業は進められていたが、未だ作業は残されている。当面解決できない問題があるわけではないが色々なことが次々と起き。そろそろ皆さんに便りを出そうかと思っているうちに又別な問題が出てくる。長期休暇の終わりになっても何一つ宿題に手を着けておらず、気にはしているが次々訪れる未知との遭遇に振り回され、結局大量の宿題を残して新学期に突入した子供の頃を思い出している。
今回は取りあえず時系列でいくつかのピックスを紹介する。

1) 雀の巣(2006年9月第2週)
日本から戻りオークランドでいつも世話になるスティーブの家で一泊、翌日ワンガレイに戻る。マリーナや造船所でお世話になっている人たちに挨拶をし、マリーナに隣接しているモーテル兼アパート、MARINA COURTにひとまず落ち着く。モーテルは思ったより混んでいた。長期滞在用の部屋が空くのは一週間後、それまでに3度部屋変えが必要と言い渡された。



帰国中に行われたもっとも重要な作業は、マストトップに新型のレーダーリフレクター(SeeMee)を取り付けたこと。この作業のためマストを倒しマストの中に細い導管をいれ、電気関係のコードを総て其の中に収めた。ついでにワイヤーやリグ関係の痛んだところなども総て修復した。予想外の出来事はレーダーアンテナの下に雀が巣を作っていたこと。外洋に出てからは雛が孵っても本土復帰は難しい。可哀想だと思いながらも巣を解体。ところが数日後には又巣が作られている。2度ほど繰り返したが、結局雀の強い意志を尊重してそのままにしている。



2) 空き巣と損害保険(2006年9月第2週)
3日後に最初の部屋替えをした。とにかく荷物が多い。別棟からの引越しなので荷物の出し入れをする時、わずか10Mの距離だが双方の入り口を確認することは出来ない。荷物の中身をチェックしながらなので時間もかかる。始めはドアをロックしていたが、面倒なので途中から開け放しで作業を続けた。8時から初めて3時間後にどうやら完了。改めて荷物のチェックをしていたら、日本から持ってきた機内持ち込み用の車の着いた鞄が見当たらない。 モーテルの管理者に連絡し、元の部屋の鍵を開けベッドの下まで隈なく探したが見つからない。中身はパソコンのバックアップ用の大型メモリー(100GB)やUSBメモリースティック数本、3台あるパソコンの予備バッテリー、音楽CD30枚ほど。いずれも今回日本で購入してきたものばかり。
管理人の勧めもあり取りあえずワンガレイの警察に届ける。担当官は親切だった。報告を受けた後、全部で損失はどのくらいかと尋ねるのでるので、NZ$1,500と答える。 先方は通信費用等もかかるだろうといって、損害額をNZ$2,000と記入した報告者を作成してくれた。保険会社にこの報告書を提出すればこれを元に賠償してくれるとの事。前回帰国したときは3ヶ月間の旅行保険に加入していたが、今回は大単独航海での保険は見合わせたいとの保険会社の回答。他に応じてくれる保険会社もあったがあまり高額だったのでこれには加入しなかった。
唯一の保険はニュージランド(オプア)に入国した時、マリーナの管理人からニュージランドのマリーナでは保険に入ってないと係留を許可しないといわれ、即座に加入した現地の艇体保険。オプアの保険代理店を経営しているディビッドに電話するとヨットでの盗難は保険でカバーできるとの回答。当方より実はヨットではなくモーテルでの盗難、但し本来はヨットに積んでいる筈なのだが修理中なのでモーテルに持ち込んでいると答えると、自分では判断できないので申込書を送るとの返事。 余談だがデェイビッドはカナダであったNZ国籍のヨット「VISION」のオーナーの実兄。初めてのことなので面倒だったが保険請求用紙に記載し、再びモーテルの管理者の紹介で保険の内容証明をしてくれる地元の担当者と面談。サインがパスポートのサインと同じであることを確認してもらい書類の作成完了。結果が出るには時間がかかるだろうと思いながら、駄目元で提出。
紛失した品物の内、IT関係は元の勤務先の同僚でITの専門家である横井さんに購入を依頼した。IT関係の品物は、秋葉原で彼のアドバイスを受けながら一緒に買ったもの。彼は当方のニーズを理解しているので直ぐに品物を送ってくれた。この場を借り、改めて"Thank you very much"。CD他は自宅から送ってもらった。娘から命を落とさないで良かったねとのメールを受け取る。全く其の通り。保険でカバーできるかどうかの問題を除きこの件は落着。

3) イベント広場
その1−BMX(マウンテンバイククロスカントリー)レース(2006年9月10日(日)) 雨が多く作業がはかどらぬまま直ぐに週末になる。其の日も曇り時々雨、愚図ついた空模様だった。にもかかわらず早朝から近くで拡声器を通して子供達のざわめきが聞こえる。物見遊山で声の聞こえるほうに足を運ぶ。モーテルの隣2百メートル程はなれたところに広場があり、一部にサーフボードやBMXのコースがある。BMXのコースの周りに大勢の人だかり。競技に参加する子供達(5歳から15歳位?)とそのサポータ。5分程度の間隔をおいて10人ぐらいのグループが次々にスタート。雨でぬれたコースを泥だらけで走り抜ける。途中転倒したり、コントロール出来ずコースをはみ出したり、失速して上り坂の途中で止まってしまう子等様々。自分の子供の頃にこんな環境があったら夢中になっていただろうと思いながら時を忘れ暫し観戦。子供達にエネルギー貰ったせいか少し元気を取り戻す。

クロスカントリー レース クロスカントリー レース
マウンテンバイク クロスカントリー レース

その2 ボートレース 2006年10月14日(土)
話題は少し飛ぶが昨日再びスピーカが何かのイベントを告げていた。日本から持ってきたタバコが切れたので、広場の先にある給油所兼小型スーパーに出かける途中広場を覗いてみた。今回は大小様々な漕艇用のボートが所狭と並べられている。シングルスカル、ダブルスカル。フォー、エイト等形式も様々。色々なチームが船の手入れをしたり、準備運動をしたり、ミーティングしたり、食事をしたりしている。 本格レースは明日日曜日に行われるものと勝手に思い、興味はあったが船に戻り作業に取り掛かる。ところが夕方になるといつの間にかざわめきが消え、多くのボートが次々に車に積まれ搬出されている。
其の夜、10人ほどの参加者らしいグループが、隣の部屋の入り口前のテーブルを囲みビールを飲みながら歓談している。グループの一人に尋ねると。レースは本日のみ。今回のレースは懇親を主目的とするソーシャルレース。本格的な競技が開始される幕開けとして例年実施されるとの事。若者達のグループは其の夜遅くまで騒いでいた。本件残念ながら写真を撮る機会を逸する。

4)テスト航海―衝突事故とエンジントラブル(2006年9月30日/10月1日)
先日新たに取り付けた@ウインドベーンAオートパイロットBウインドベーンを作動させるためのオートパイロットの3点を中心にテストするため2日間のテストセーリングを行った。これまで約1万2千海里に及ぶ航海の経験から夫々の用途は:
@ オートパイロット:出・入港時、外洋で風が弱い時。機走向時に利用。これまで使っていたRAYMARINE社のST2000+からST4000+にグレードアップ。
A ウインドベーン:外洋で風が安定している場合に利用。とりわけ強風/烈風時にはこれが頼り。これまで使用していたPLASTIMO社のNAVIKからSCAMMER社のモニターに変更。2年前初めてウインドベーンを取り付けたときは全く基礎知識がなく、カタログを調べた結果小型艇に向いた軽量タイプを採用。32フィートのヨットでケープホーンを廻った実績があるので、出航前はこれで十分を思っていた。実際に使ってみると、沖縄でのテスト航海も含め、トラブルが続いた。
数箇所のジョイント部分に使用されているプラスチックのコネクショと応力のかかる部分に使用されてアルミダイキャスト(鋳物)の強度に問題があった。風に対する感度は良いので小型艇での短期間のレースやクルージングには十分使えるが、長期間、舵にストレスがかかるような場合は弱すぎるとの結論に達し取り替える事にした。モニターは総てステンレス製で60ftまでの大型艇による長距離レースにも採用されている。SCAMMER社によるとBOCレースで使われている唯一のウインドベーンで「酒天童子」の斉藤実さんも採用していたとの事。自分の船には大きすぎるのではとの不安もあったが実際取り付けてみると以前から取り付けてあったかのように形良く収まった。
B ウインドベーンを作動させるオートパイロット:外洋で風が弱くウインドベーンが使えない時や機走時に使用。メリットは舵を直接動かすよりもはるかに少ない動力/電力消費ですみ、其の分オートパイロットが長持ちする。これまで使っていたRAYMARINE社のST2000+をこの目的に利用した。オートパイロットを船尾にあるウインドベーンに直接取り付けるのが簡単だが、雨や波飛沫でぬれると電気系統の不具合が生ずる。オートパイロットをドライに保つためドジャーの中に収納する方向で検討した。最終案が決まるまで、造船所の主イアンと具体的な作業を担当するスチーブと3人で何度もブレーンストーミングを繰り替えした。

さて実際のテストセーリングだが、以前からオークランドで世話になっているスチーブがダーマを見たいと言っていたので、10日ほど前から週末を選んで近くのツツカカマリーナまでクルージングすることにしていた。予定は次の通り:
―9月29日(金):満潮が正午なので、午前11時出航、15海里離れたワンガレイ湾(河口入り口)周辺でテストセーリングをした後投錨して一泊。
―9月30日(土):テストを続けながら15海里離れたツツカカマリーナに入港。一泊。
―10月1日(日):早朝ツツカカマリーナを出航し、其の日の午後2時(満潮時)前後にワンガレイのマリーナに帰港。
スチーブが予定通り木曜日の夕方到着。ダーマは出航までに仕上げなければならぬ電気配線他、セーリングに必要なブロック等の取り付けで多忙。其の夜は外食。ついでに食料品の買出し。翌日午前中にバースのクッション、寝具、調理器具等々、航海に必要な最小限の荷物を搬入。出航は予定より少し遅れて12時15分。出航して僅か2時間足らず後、こともあろうに航路標識に激突。こから先は以下に保険会社に提出した事故の概要(以下にドラフトをコピー)を参照のこと:

(Draft)Incident Report on damage to the S/V Dharma
Name of Sailing Vessel : Dharma ( Boat in Transit)
Registered Country of Vessel : Japan
Name (Age) of Owner/Captain : Tamio Meguro (59/Male)
Crew at the Incident : Steve Hendricksen(45/Male)
Length/Weight of the Boat : 28 ft/3.5 tons
Date and Time of the Incident: : 30 September 2006 at 2:00 pm
Type of the Incident : Collision with Navigational Post (Green) Location of the Incident : 35°48.985S/174°28.045E
Description of the Incident :
S/V Dharma left Riverside Drive Marina at 12:15 am for Tutukaka Marina. S/V DHARMA was motor sailing down the Whangarei River with a running tide. The incident happened due to a moment of inattenion, S/V Dharma collided with the Green Navigation Post at a boat speed of approximately 4.0 knots.
There is no apparent damage to the Post, however the pullpit, anchor roller fitting, a part of the foredeck and stem of S/V Dharma were damaged as shown in the photos attached.

簡潔に補足すると、機走約4ノットで(潮があるので実測5〜6ノット)一時間ほど航路標識に沿ってワンガレイ川を下る。 川幅が広くなった所でオートパイロットに切り替え。その後インナージブ、メインセール3ポイントで機帆走。スチーブにウオッチを任せ、船内で電子チャートのチェック、入港に備えツツカカマリーナのバースを予約。 その間に航路標識の間隔が広くなり、浅瀬に近づき過ぎたので航路の修正をスチーブに指示。コクピットに戻り2人でワッチを継続。途中機器の詳細、オペレーションなどにつき質問に答えているうちに、エンジンパネルに質問が及ぶ。説明のため2人ともパネルを覗き込むこと1〜2分。 気がついたら十分避けられると思っていた筈の航路標識に真正面から衝突。

航路標識

最初に船首右側にあるアンカーローラーに当たり、その後パルピットに沿って左舷の一部を磨りながらブイを離れ、自然に川下へと向かう。船の動きと方向を確認し、スチーブにウオッチを任せ、トラブルの度合いをチェック。パルピット先端の航海灯の取付け金具が折れ航海灯が電線にぶら下っている。アンカーローラーを固定している3本の8m/mのステンレスの内、先端のボルトの千切れ、後方の2本のボルトも半分浮いている。ボルト位置に沿ってデッキ上に亀裂が入っている。ステム(船首の立ち上がり部分)を覗きこんだとき、アンカーの先が5センチ程船体にめり込んで居るのを見たときは流石に唖然とする。 気を落ち着けてマストやリギンのチェックをする。特に先端のジブステイに緩みがないので当面の帆走には支障がないと判断する。一時その場で引き返す事も考えたが、週末でマリーナや造船所には誰も居ないこと、この機会を逃すとテストセーリングが出来ないかあるいは出航が大幅に遅れることなどからテスト航海の継続を決定。風は北西7m/s前後。傷んだ船首部からの浸水を避けるためガムテープで亀裂や穴を塞ぎ。又投錨に備え、ロープでアンカーローラーを固定。
以後予定通りテストセーリングを継続。夕方河口入り口で投錨し一泊。午後2時ツツカカ入港。小さいが落ち着いて居心地の良さそうなマリーナとの印象を受ける。 翌日早朝ツツカカを出航。出航後間もなく天気が崩れ、スコールにあう。時々大粒の雨に見舞われながらも、平均10m/s(最大15m/s)の北風の中、ウィンドベーンによる快調なセーリングが続く。追手で2メートルほどの追い波に、まるで当て舵を使うかのようにモニターは思い通りのコースを引いてくれる。予想していた以上の性能に大満足。
11時、河口が近づき用心のため速めにエンジンをスタート。ところが30分ほどで警報音が鳴り響く。エンジンが過熱している。スターンの冷却水の排出穴から冷却水が排出されていない。インペラーの破損であることは間違いないが問題は急いで出航したので交換のスペアを持っていないこと。 以後細かい経緯は省くが、途中から地元のヨット(LAMBANA)に曳航してもらい、無事?帰港。直ちにインペラーをチェック。5枚ある羽根のうち3枚が破損していた。インペラーを交換しエンジンは復調。翌日エンジンの熱交換器を解体して破損した羽根(熱交換気のパイプを詰まらせ、冷却効率低下の原因となる。)を総て回収。

事故から学んだこと
其の一:プレジャーボートを含め、船舶の事故は陸上から20海里以内で起きるといわれているが、身を持ってこれを実証した。大事な場面でワッチを怠るという、全く初歩的なミスが原因。出入港時の会話は必要とされる最小限とどめる。緊急時以外、目を離さなければ出来ないような会話は広い水域にでてから。
其の二:近距離の航海でも最小限のパーツは持参すること。
其の三:艇体の強度を調べる貴重な体験となった。外洋での脅威は自然よりもむしろ本船や、大型の海上浮遊物との衝突にある。今回船舶との衝突を避けるため、20海里以内で探知したレーダーの電波を増幅して相手に返すと同時ブザーで警告する装置(See-Me)を取り付けた。最近は船から落ちたコンテナは短期間に沈むように設計されているらしいが大型の丸太等にぶつかる可能性はゼロではない。
相手が高速で移動していれば別だが、波間に漂っている程度であれば、仮に正面から衝突しても船首や船体が潰れる心配は無いとの確信が持てた。
フレンチポリネシア(ライアテア島)で漁船と衝突し船首が1フィート潰れて入港したヨットがいた。ガラパゴスからマーケサス諸島に向かう途中、漁船と衝突した結果との事。ダーマに限っていえば、例え撥ね飛ばされても船首が潰れることは無いだろう。
仮に船首が傷んでもそこから船内に浸水しないようにアンカーロッカーの隔壁を補強し、ビルジポンプを追加した。今回の修理で以前よりも船首部は丈夫になるだろう。パルピットやアンカーローラーなどの突起物は、車のバンパーのようにいざとなれば衝撃の緩衝材の役目も果たす。これらには通常の用途に適すれば済むので不必要に頑丈に作ることは得策ではない。

5) 追加修理と保険
翌日マリーナのボスレイ・ロバーツに会うなり、彼は、私を指差して「見たぞ、見たぞ!」と叫ぶ。早速保険請求するので承認になってもらいたい旨お願いする。彼は保険会社の名前を聞き、直ぐにワンガレイにある代理店に連絡してくれた。間もなくオークランドの保険会社から電話連絡が入る。多少行き違いがあったらしく先方の女性は、盗難の保険請求は受け入れがたい旨を言いにくそうに伝えてきた。当方より衝突事故の概要を簡単に伝え、今回の事故は重要で、時間的にもあまり余裕がない。最初のクレームは取り消すので、今回の請求処理を早めてもらうように依頼した。

委細割愛するが、保険会社により事故は保障の対象として認められ、一週間前から修理作業が始まっている。以前から気になっていた部分があり、これを機会にパルピットやアンカーローラーのデザインを若干修正してもらうことにしている。修理が完了するのは他の作業とあわせ10月25日前後となりそうだが、幸い出航予定の大幅な変更は無い見込み。

その他の修理・整備状況
とにかくこれまでに航海で気がついた事、ブローチングやノッキングで船が転覆、倒立した時の事も念頭におき、出来る限りの対応はした。どれだけ積荷を減らせるかが今後の問題。予想される修理に備え多くの機材を抱えてきたが、思い切ってこれらの資材、使うと思っていたが実際に使用していないものなど総て降ろす方向で考えている。大きな問題があるとすればデスマストだがこの場合は其のときの状況で対処せざるを得ない。ハワイで大量に購入した食料品の在庫も一部は整理することになる。整備の詳細については、より時間的余裕が出来た段階で別途報告することとしたい。

6) NAIA : エレックとタミー夫妻 (2006年10月9日(日)) ハワイ籍のNAIA(ハワイの現地語でイルカを意味する)のエリックとタミーはワンガレイを中心に近隣諸国・諸島の旅を続けている。ダーマがワンガレイに入国して以来の友人、マリーナ部落の先輩。ハワイで多くの日系人と付き合っているので日本の事を良く知っており、又興味も持っている。マリーナの片隅に一個だけある大型コンテナを倉庫代わりに共有している間柄でもある。他のマリーナでは同じコンテナを一日4ドルでレンタルしている。ここでは一日2ドル。それを共有しているので夫々が1ドルずつ払っている。もっともこのコンテナは元の所有者がマリーナを離れるとき只で置いていった代物らしい。

帰国前、若いタミー(30台? エレックは55歳)は長期逗留に備え仕事を探していた。日本から戻りエリックに会うと、「実はタミーが妊娠している。自分は2度目の結婚だが子供には恵まれていない。タミーにとっても自分にとっても始めての子供だ。俺は運がいい。」と実に嬉しそうに説明する。ワンガレイに来てから晩秋には暖かい海を求め、多くのヨットが船出した。春になって新たなヨットが入港、徐々に賑わいを見せている。そんな中、初めての子供は故国でと決め、数日前エレックとタミーが船を陸揚げし米国に戻っていった。
前日夫妻の希望で日本料理店「ASAHI」で最後の夕食会をした。つわりも治まり旺盛な食欲を満たしながら「昨日音波検診をしたら女の子だった。」とタミーがコレマタ嬉しそう。自分もなんだか嬉しくなった。

7) 突風 2006年10月10日(火) エレックがかえった翌日、北島はワンガレイを中心に竜巻のような突風に襲われた。朝方は小雨交じりではあったが時折日が差し、ダーマの修理作業(FRPの整形)が開始されていた。昼頃雨の中食事をしに一端モーテルに戻った直後、大きな唸りを伴う突風に気がついた。船のハッチを開け放しにしてきたのとスペアを数枚作る予定でコクピットに置いたウインドベーンの羽板が気になり、慌てて船に戻る。大型のスコールかと思いながらが羽板を抱え小走りに造船所に行く。途中辺りを見回すと皆、車や船の物陰に退避している。
とても仕事が続けられる様な状態ではない。イアンに会うといきなり「君の問題は小さくなったよ。-"Your problem was turning to small !"」と言う。何のことかわからなかったが、傍にいたスチーブに促され造船所の外に出てみると直ぐに合点した。岸壁の最前列に上架されているスワンの40ftが、隣のモータボートの上に乗りかかる様に横倒しとなり長いマストがくの字となって垂れ下がっている。雨は直ぐ収まり日も差してきた。マリーナの責任者レイの動きは早かった。 イアンに「クレーンが必要だな。」というと以心伝心イアンが直ぐに色々な業者の手配を始めた。事故から一時間以内に、クレーン、保険業者、マストを外すリガー等が集まり作業を開始している。作業が遅れ再び突風が来ることを恐れての処置だろうが、皆流石に手馴れている。ダーマの方は、と戻って見るとスパルタクスに似た(つまり映画「剣闘士の乱」主演のカークダグラスにそっくり)オジサンが帰り支度をしている。有無を言わせぬ口調で「又同じ様な突風が来るような気がする。 頭が痛くなった。とても仕事を続ける気にはなれない。明日早く仕事に取り掛かる。バイバイ」と言い残し帰って行った。ワンガレイに長年住んでいる年配の人達でもこんな突風は始めてだといっていた。災害は忘れた頃にやってくるというが、日本の災害(ニュース)に慣れている自分には、なんて温和なところなのだろうとの思いが強く残った。

突風 突風
突風に見舞われる

8) マイケル(二度のケープホナー)との出会い 10月12日 2006年10月12日(木)
午後早い時間、船内でロープワークをしていると、「オーストラリアからレースボートが入るので手伝ってくれ。」とレイの声がする直ぐに上下架用の桟橋の端で船がクレーンのバンドに上手く納まるように補助をする。船名は「カルメン」全長40ft以上ありそうだがシングルハンダーのようだ。自分より年上と思われる男性が見事な舵捌きで吸い込まれるようにクレーンの下に艇を導いていく。 船が吊り上げられるのを見届け、ダーマに戻り作業を続ける。

彼、翌日から上架した船の船底を一人黙々と磨いている。それが終わると、翌日には船底ペイントの塗装に入っていた。作業の邪魔にならぬ程度に少しずつ話かける。当方の質問にも答えながら、淡々と話かけてくる。彼の名前はマイケル。以下彼の経験談:13年前、BOCレースに参加するつもりで作った船だが、スタート前に仕上がらずレースには参加出来なかった。特にスポンサーはいないので費用の面でも無理があった。その後メルボルンー大阪のダブルハンドレースに2度参加した。大阪は楽しかった。ケープホーンは2度回ったが、いずれもシングルハンドだった。今回修理が済めば又ケープホーン(ビーグル水道)に行く予定だ。しかしメインセールを新調するので出航は大分遅れるだろう。

以後彼とはお互いに修理を手伝ったり、食事をしたりと親交続けている。今日は(10月16日)は彼のラダーを外すのを手伝い、その後2人でダーマのストームジブとトライスルを実際に張り、強風時の対応を検討した。シングルハンドでクルージングする時の、強風対策とケープホーンルートへの助言を以下に列挙する。

1.オースラリア(シドニー)に入港する多くのクルージングやレース艇を見てきた。其の中にはファーラーのヘッドセールが裂けて、ジブを換え様にもセールを降ろす事が出来なくなっている船が多数あった。自分はヘッドセールを軽・中風用と割り切り、風が30ノットを超えると、レギュラージブ(ハンクスに留めるタイプ)を使用する。ヘッドセールは完全に丸め更に予備ロープを固く巻きつける。ジブシートもばたつかぬようにバウのクリートに留めるようにしている。風が40ノットを超えるとジブをストームに変える。通常メインセールは降ろしている。

2.ニュージランドからケープホーンへのルートでの風は殆どが西風。今まで長期の東風に会ったのは一度だけ。この時は真南に進み、真北に返信して元のコースに戻った。ストームジブで走るような場合、進路を風軸から30〜40度外すのが鉄則。進路がコースから外れる場合はジャイブしながら進む。モニターの信頼性は極めて高い。ベアポールで走ったこともある。其の場合でもモニターは確実にコースをキープしてくれる。どんなに風が強くても追手で速度を緩和させれば快適な航海が続けられる。レースではないので確実に目的地に着くことが重要だ。

3.ケープホーン(実際は小さな島)を廻るとき、風が弱ければ何処を通っても問題ないが、風(西)が強い時、出来るだけ島に近いところ(3海里)を抜けるのを勧める。ケープホーンを廻る時大きな横波がある。遠くを廻れば長い間この横波に曝されることになる。近くを通過すれば横波に曝される時間が少なくてすむ。一端島の東側に入ると、風は同じでも波が小さくなる。

4.ビーグルチャネルに入ると潮流が早いので注意が必要。大きな渓谷が開いているところでは砂が堆積して良好な投錨地となる。安全な投錨地はチャートに載っている。自分は5〜6mのところに投錨していた。自分のチェーンの長さは48m。40mあれば十分。30m(ダーマの場合)では短いかも知れないが、簡単にロープを繋げるようにして置けば問題ないだろう。ヨットマンのためのガイドブック(Chille : Arica Desert to Tierra del Fuego)は非常に役立つ。携帯する事を勧める。−既に発注済み。

5.ポートウイリアムス(チリ領)、ウシュワイア(アルゼンチン領)の何れも行っている。ポートウイリアムスはチリの海軍の基地で他には何もない。一方ウシュワイアは人口20万を越える町で大概のものは揃っている。僅か20マイルしか離れていないが国境を隔てているので出入国には其の都度正式な手続きが必要。ビザはその場で取得できる。チリとアルゼンチンは国境問題で現在も係争中。このためお互いに警戒心が強い。

6.船を安全な港に係留し、ケープホーンに上陸する場合、どの様な手段があるかとの当方の質問に対し:ケープホーンを廻るだけで十分ではないか。上陸することを考えたことは無い。ポートウイリアムは飛行機が毎月一便しかないような僻地なので、チャーター船や、チャーター出来るヘリコプターがあるとは思えない。ウシュワイアはアルゼンチン領なので、チリ領であるケープホーンに渡る手段はないだろう。友人である高名なヨットマンに、ケープホーンを通過する時モニュメント(アルバトロス?)を見たか?と聞かれたことがある。残念ながら自分には何も見えなかった。

9) 雑感
取り留めのない話で恐縮だが、ここ1年の間に出会ったいくつかのことや若干の昔話を踏まえ、最近感じていることを雑感としてまとめ今回の便りの最後にしたい。

フレンチポリネシアからケープホーン行きを急遽変更して、ニュージランドに来たのは、正しい判断だった思っているが、想定外ではあった。4月そして7月に日本に戻ったのも想定外であった。仕事で海外勤務が多く、子供が大きくなってからは家族と離れて暮らすことが多かった。海外の単身勤務では、5ヶ月勤務し一ヶ月の休暇を取り家族の元へ帰るパターンが続いた。そう考えるとここ一年間の生活パターンは5ヶ月間働いて、1ヶ月間休暇を取っていた時期とそれ程変わらない。帰国時は例え短期間でも、必ず故郷(北海道大沼公園)の母(父は10年前に他界)、兄弟、旧友達に会うため帰省していた。

4月に帰省した時は、僅か数日の滞在でだったので故郷の旧友と会うかどうか迷ったが、結局連絡した。いつもは必ず都合の良否を明確に口にするのに、其のときに限って、「明後日に千葉に戻るなら、明日何とか会えるようにしたいが約束は出来ない。」と言った。結局翌日に友人と会ったが実は、彼の母親が突然のくも膜下内出血で入院した直後であった。 友人が病院へ行くのに同行し、その夜遅くいつものように函館から車で30分かかる自宅まで送ってもらった。其の途中凍った雪道にスリップし車が転倒、車はペシャンコになったが二人とも奇跡的にかすり傷一つせず助かった。事故の処理が終わり、迎えに来た彼の家族(寒い中車の処理のため夜中の2時過ぎまで待った上で)自宅まで送ってくれた。仮眠をし、朝の便で千葉の自宅に帰った。

其の日86歳になる母から電話があった。いきなり「事故の事を帰った後で聞きました。車で送ってもらうほど遅くなるような事絶対してはいけません!電車で帰ってきなさい。どうしても遅くなったときはタクシーにしなさい。」と強い口調での叱責であった。高校卒業以来、記憶に残るような母の叱責は無い。自分が20台初期に自作船で日本一周した時、最初に北海道を廻り、自宅の近くの漁港に係留した。今と同じように其れまでの航海で気がついた所を修理するためだった。 いつもは「あれやれ、これやるな。」と口やかましい父は、既に船出した息子に、何を言ったらいいのかわからず、オロオロしているように見受けられた。それに引き換え、母はいつもと同じ柔らかな口調で、親子の会話を続けていた。修理が終わり、出航が近づいたある日「自分が本当にやりたいと思っていることをして、仮にその為に命を落とす様な事があっても、本望だわね。」としっかりとした口調で母が言った。 息子の決意を確かめているようでもあり、又母親自身が自らを納得させているようでもあった。いまだに其の時の、母の心境を尋ねた事はないが、女とは、母親とは強い、偉いものだなと感じたのは覚えている。とにかく必ず無事に帰ってこようと思ったことは確かだ。察するに久々の母の小言は、「ツマラナイ事で怪我をしたり、命を落としてはいけませんよ!」と言わんとしていたように思える。

ともあれ最後の買い物をし、家族に再会を約し晩夏の日本から早春のニュージランドに戻った。

何かの予感、これまで気がつかなかったが、それ以前にも、又それ以後も似たようなケースが度々あったことに気がついた。簡単に言えば、自分の都合だけ考えて相手の都合に思いいたらなかったのではなかったかという己に対する疑問である。其の結果として事故、或いはそれに似た何かに遭遇するのではないかという予感を感じ始めた。以後、もともと約束していたとか、どうしても会わなければ、会っておかなければといった場合を除き、人と会うときに今まで以上に注意を払うようになった。ケープホーンを無事超えられれば、従来のように、会いたい時に会いたい人と会うのを当たり前のように思えるような気がする。

とマア色々書いたが一言で、平たく言えば現在の心境は「偶には初心に戻ること、時には自重する事も必要。」ということ。

では又。新学期が始まって慌てて書いた夏休みの作文のようになってしまいました。誤字、脱字もあろうかと思いますがご容赦願います。今後はもう少しこまめに、あまり溜まらないうちに便りを出すようにします。

目黒




10月25日(水曜日)
ワンガレイ便り(2)

馬場様
当地は土曜日から3連休でした。昨日は久しぶりにオークランドへ行き、日本食を中心に食料品の買出しに行ってきました。久しぶりに都会の香りに包まれ先ほどワンガレイの我が家(?)に戻ったところです。

今のところ出航日を11月1日又は2日と考えています。2日の満潮は午後3時です。仮に10月31日(火曜日)に出航手続きをすると48時間以内に出航しなければなりません。修理・整備と積み込みに後一週間はかかりそうです。

以下引き続き当地でのトピックスをお伝えします。なお先日マイケルを2度のケープホナーとして紹介しましたがケープホーンを回ったのは1度で2度目はマゼラン海峡を通過したとのことでした。

海上保安庁より連絡

10月19日朝9時ごろ、ウインドベーンのスペアと作っている時、携帯電話の着信音あり。先方より日本語で「海上保安庁のものですがお聞きしたいことがあって電話しました。」との第一声。日本時間では早朝5時。何事かと一瞬驚くが、続いて「EPIRB(Emergency Postioning Identification Radio Beacon)の事についてニュージランドの販売先から問い合わせがありました。其の確認です。識別信号は既に帯同しているEPIRBと同じ周波数で登録しました。今回新たに購入したのはPLB(Personal Location Beacon)タイプでしょうか? PLBタイプは未だ日本で認可されていないので、日本時間の10時頃、総務省の電波管理局に連絡して別途許可を取ってください。」

状況を簡単に説明すると、ライフラフトを新期購入したのと同じ理由だが、日本出国時必要な安全備品は、一人で取り扱うには、大きすぎて小型のダーマには重荷となり、いざという時の安全備品になりそうもないのが頭痛の種だった。ライフラフトは既に取り替えたが、緊急時の状況を頭の中でシミュレーションしてみると、ライフラフトに乗り移る時の最小限の携帯品として保有しているEPIRBはどうも大きすぎる。直ぐに取り出せるような置き場所を考えたが適当な場所がない。EPIRBは、基本的には船の備品として登録されている。ところが最近ITの進化とともに小型化が進み携帯電話のようにポケットに入るほど小さくなっている。海外では登録されるべき救難信号も船ではなく、所有者個人となっている。これがPLBタイプである。

とにかく保安庁の指示に従い、指定された時間に、総務省の指定された番号に電話をした。幸い先方の若い担当官は既に海上保安庁から連絡を受けており当方の状況は把握していた。PLBは日本では許可されていないが海外で利用するには問題ないとの事。さらに国内でアングラで取引されているマリンVHMも含めPLBも数年後には国内でも利用できる方向で検討しているとの事であった。PLBは個人での携帯を前提としているため、例えば登山中の事故が発生した場合の連絡と緊急救助(船に登録されていれば従来通り海上保安庁が救助することになるが)の体制が確立しておらず現在鋭意検討中との説明があった。

当方より海外では、安価で性能のよい緊急連絡用の備品が出回っており、日本でも早く利用できるようにして頂けるようとユーザーの一人として希望している旨伝え本件落着。

古い話になるが、40年近く前、日本一周で稚内に寄った時、何処に舫を取ろうかと港内をウロウロしていると海上保安庁の若い職員が岸壁から合図して安全な停泊地に案内してくれた。其の縁でそれ以降、常に保安庁に「エスカルゴ:当時所有艇の船名」の動向が伝えられるようになった。このため港に入ると直ぐに安全な停泊地を紹介してくれるので大変有り難かった。
うろ覚えだが、沖縄から戻り九州の沿岸を北上し始めた頃、自分は右回り日本一周をしていたが、左回りで単独日本一周をしている別のヨットがいる事を保安庁の通信記録で知る事ができた。自分と同じ21ftの自作艇で自艇エスカルゴは横山さん設計の「Y21」だったがもう一方は熊沢さん設計の「K21」だった。船名は忘れたが鶴瀬ノボルさんと言う名の方だった。どこかですれ違った筈だが、鶴瀬さんにお会いすることはできなかった。
数年してヨットの雑誌で鶴瀬さんが世界一周を目指して30ftのクルーザーを自作していることを知った。自分は其の頃会社務めを始めてまもなくの頃で、鶴瀬さんのヨットに賭ける強い思いを感じ取っていた。
暫くして偶然新聞の拾い読みをしている時、小さな記事に釘付けになった。其の記事は「世界一周を目指して自作中のヨットマン鶴瀬氏が、作業を終えて帰宅の途中、岸壁から落ちて死亡した。」事を伝えていた。自分が未だ30台の頃だった。海上保安庁の名前が出るとなぜか一度も会うことの無かった鶴瀬さんの事を思い出す。

以上

本日はここまで、一週間後には出航する予定です。

2006/10/26/09:35JST 出港当日の海況は高気圧がニュージー北島を覆うため安定しています。
<馬場社長から目黒さんへのメッセージ>
11/02/15LT出港予定の件諒解しました。
出港当日の海況は高気圧がニュージー北島を覆うため安定しています。次の谷が何時ごろ通過するかが不明のため、当面風向をみながら30S付近まで北東進されたのちに30S付近を東進されることをお勧めします。
30S付近を選択する理由として、
1.周期的に通過する谷は30S以北にまで伸びる可能性がありますが、遭遇する時間は南より短くなること。
2.タヒチの南辺りで時折発生して南東進する低気圧を避けたいこと。

そのまま東進されれば、いつかは南米沖の高気圧に出会いますが、その場合は事前に動向を予測して、高気圧中心の南側をドレークへと航行するコースを選択しましょう。

追伸:渡辺さんから「DVDは無事受領しました。有難うございます」とのことです。

2006/10/30/08:55JST ニュージーの南を低気圧が東進中
<馬場社長から目黒さんへのメッセージ>
ニュージーの南を低気圧が東進中。11/01は移動y生高気圧が西から進み、ニュージー北島もこの圏内。ただし、中心がやや南よりのため、出港後一両日は東よりの風となりそうです。
11/03後半から高気圧の後ろ側で北〜北西が吹き始めるでしょう。風速はしばらく10m/sを超える事はないと予想されますが、30S付近は東よりの風が続くため、当面35S付近を東進されることをお勧めします。
11/01より日本時間10:00に気象情報をイリジウム宛送信開始します。

2006/10/31/08:50JST 11/02頃高気圧の中心がワンガレイの南を通過します。
<馬場社長から目黒さんへのメッセージ>
11/02頃高気圧の中心がワンガレイの南を通過します。このため、11/03は北東〜東よりの風が続くでしょう。グレートバリア島沖から一旦南東へイースト岬沖まで向かわれ、11/04以降の北〜北西の風を待って35S線へ北上。
ニュージー東方海上は35S以北に帯状に高気圧がのびると予想されていますので、35S付近を東進されては如何でしょうか。
このメール念のためHMC経由でも送信しておきます。通信状態を確認してください

10月31日(火曜日)
馬場様
受信状況良好です。山我さんのメールを含め3通を一度に受信しましたが約6分で受信できました。
日本との時差が4時間あるので現在日本時間19時、NZ時間23時です。ここ数日セールのセットや荷物の積み込みに追われています。新たに取付けた備品の再チェックをし、不具合いがあるところを修正しているので思った以上に時間を要してします。
現時点で積み込みが8割程度完了したところです。明日朝8時に税関と連絡を取ることにしています。その後最後の買い物、修理費の支払い等を行い、出航手続きが完了後出航することになります。おそらく午後2時から3時の間になると思います。当日夕方にワンガレイ川の河口で投錨、荷物の整理をし、十分休息をとってから翌日11月2日外洋に出ます。
目黒

2006/10/31/17:00JST
<馬場社長から目黒さんへのメッセージ>
メールの受領はOKですか?明日以降はイリジウムにメール入れますがいかがでしょうか。 馬場



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