DHARMA単独世界一周航海日誌   2005年8月             戻る

8月1日(月)
【位置/海況】
<コメント>
【オークベイマリーナからのコメント】
Hello Mr. Baba,
On behalf of the Oak Bay Marina, we would like to let you know that
Mr.Meguro has arrived safe and sound!
Sincerely, Derek -Oak Bay Marina Staff
オークベイマリーナから目黒さんが無事入港された旨の連絡です。

<コメント>
馬場様
一日遅れましたがお蔭様で無事入港できました。サポート有難う御座いました。
馬場さんのサポートがなければ予定通り無事に到着できなかったと思います。
引き続きサポートお願いします。今後の進め方について以下のように考えています。
@ビクトリアに滞在中、引き続きメールの配布とメッセージの仲介をお願いしたい。
 但し時間的な緊急度はないので送信のタイミングにはこだわらない。
Aハワイ出航の準備が出来たら気象予報と出航のタイミング、予定航路についてのアドバイスを
 お願いする。
Bハワイに到着するまで従来通り気象情報(予想及び天気図)を送って戴く。
 その際気象の鍵となる
  −高気圧、低気圧、気圧の谷等について予想される速度と方向、
  −予定航路の風向については風の振れる方向或いはその可能性、
  −風速については最大でなくー最小についての予測、つまり幅で予報
  −気象が安定している時、大きな変化が予想されなければその間の予測は割愛し
   (月、水、金の天気図のみ送付)。
   逆に大きな変化が予想される場合は情報を前広に提供する。
以上ですが馬場さんのご意見、又当方に対する要望がありましたら合せて連絡お願いします。
ご要望の写真明日中に送るようにします。

<コメント>
皆さんへ
これより現地時間での出来事に切り替え。カナダ時は日本より16時間遅れ。

8月1日(月)
<コメント>
入港後は、必要な手続きを総てすませ、マリーナのスタッフや数人の地元のメンバーから明日以降必要な情報を少しずつ収集。
OBMはビクトリア市に近く便利ではあるが、上架施設や整備に必要な施設がないので上架できる場所の確保が先決。
偶々隣のバースにいた初老の中の良さそうな夫婦と話をしていたら、隣町のシドニーに上架を含め各種マリーン関係のサービス機関があるので案内してくれるとの事。
有難く申し入れを受ける事にした。コインランドリーで山ほど溜まった洗濯をしていたが、じっと待っているのももったいないので、かなり眠かったが久しぶりの町の匂いを嗅ぎに路線バスにのり15分かけてビクトリアの町へでる。
帯蛋白質の不足を痛切に感じたのでビフテキを食べビールを飲みたかった。
昼食には遅く、夕食には早すぎる時間適当な店が見つからないまま歩いていると四季という名の日本料理屋とベトナム料理屋が偶々開いていたのでベトナム料理屋に入り肉や海老や野菜などが沢山入ったビーフンを注文。
美味かったが残念な事にライセンスを取っていないのでアルコール類は出せないとの事。
更に町をぶらぶら歩きながら靴屋を探した。銚子を出る時天気が良かったせいもあり、使い古しのサンダルを履き、岡と船で使う2足のシューズを車に置き忘れていたのだ。
カナダに着いたら最初の買い物は靴と決めていた。数件覗いたが適当なのが見つからず、丈夫で履きやすそうなサンダルを買い、20年以上使ったサンダルは引き取ってもらう。
帰りのバス乗り場を見つけるのに30分ほど要したがOBMに戻り洗濯物を回収して初日が終わる。
何の心配もなくぐっすり寝れるのが何よりも嬉しい。
<追加コメント>
前回、何時どんな事を連絡したのか頭がボーとして良く思い出せない。
以下思いつくままに、つい数日前の構想とは大分異なったが、50日の予定に対し49日で第一レグを完了。
日本時間7月31日22時(現地時間同日朝6時)
とにかく無事ビクトリヤ市の郊外にあるオークベイマリーナに入港。

DHARMA in OBM
税関の前

一時仮係留をし、予約したバースを確認、続いて必要な 入管手続きを電話で完了。
マリーナの中に入管の窓口があるが無人で、電話と管理事務所の電話番号があるだけ。電話にて積荷や、船のスペック、滞在期間。理由など等聞かれ、それに答えているとしいつの間にか完了。
先方より入管報告書番号メモするようにとの指示がある。この番号はパスポートのスタンプと同じ意味を持つとの事。
さてそれまでに経緯だが、アプローチでは当初より北西の風を期待しビクトリア市よりかなり高い緯度を維持していた。ところが最終距離240海里を残し風が南東の真上りに変わった。この風はファンデフカ水道に入る手前で治まったが次は濃霧となる。
明るいうちに入港すべく、エンジンを回し、2昼夜不眠不休走り続けたが結論としてビクトリアに着いたのは夕闇迫る頃。マリーナまで2海里に近づいたが、夜小島や岩礁の多い沿岸部をうろつくのは危険との判断から、その日は入港を諦め一度沖だし。
波にタッポンターッポン揺れながらレーダー、GPS.測深器で周囲の状況をチェックしながら一晩過ごし、夜明けと共に無事入港。
マリーナでの手続きは既に馬場さん経由でメールを送ったり、途中電話で話していた事もあり至って簡単。一ヶ月間のまとめ払いで10カナダドル/ftと思ったより割安。
但しこのマリーナには上架設備はなく連絡がつけば、明日はシドニーという隣町で上架や補修の打ち合わせをする予定。
今夜は何時間寝ても何の心配も要らない。ぐっすり休んだら無事第一レグを完走した実感が湧くような気がする。
以上


8月2日(火)
<コメント>
朝4時に目が覚めクラブのトイレに行こうとした。昼間は気がつかなかったが、桟橋からクラブハウスにはいるところに強固なゲイトがあり、近くのボタンを押してドアを開けた。トイレはロックされカード式の鍵で開くようになっている。
到着時に20ドルのデポジットでカード式の鍵を受け取ったことを思い出し船に戻ろうとしたら、カードがなければゲートが開かない。朝4時に締め出された事になる。気持ちを切り替え散歩に出かけた。
1時間歩いて少し明るくなったの戻ってくる途中ビクトリアゴルフクラブに立ち寄った。
オフィスは未だ開いていないが、薄明かりの中グリーンキーパーが新しいホールを作っているところだった。彼に断って30分間内部を散策。 戻ると事務所が開いていたの案内書をもらう。これによると1893年に設立され北米で2番目に古いゴルフ場だとの事。
船に戻って一眠り。
暫くして昨日会ったグラハムが訪ねてきた。遅い昼食を取りながら四方山話の続きをする。彼は元IBMの技術者。奥さんの紀子さんは津田塾卒の大和撫子との事。馴れ初めを聞くと"It's a longstory"と前置きして説明してくれたが長いので内容は省略する。
学生時代のPENPALだったとの事。ITの専門家なので、日本で使っていたOUTLOOK−EXPRESSを継続して使うにはどうするのかを相談。早速小生のバックアップ用のラップトップを自宅に持ち帰りテストしてくれた。
内容を確認するため彼の自宅へ行き、銚子出航以来アクセスできなかったメールを開く。何れ時間を見て返事を書くつもり。ハーバーに戻るとドンとクリスが、頼んでいた修理の相談のため、彼の友人を伴い待っていてくれた。
既に彼が誇り高い消防士であることは伝えたが、色々話を聞くと、消防士は実に美味しい仕事なのだ。
8日間のサイクルで始めの2日は24時間勤務、次の2日間は12時間勤務、そして残りの4日間は休暇となる。休暇の間アルバイトしようが自分の会社を持とうが自由だ。専門の技術を持った仲間同士でサイドビジネスの情報を交換したり助け合ったしてしている。
ドンが彼のネットワークを活用してテントやフレームを作るの趣味(ビジネス)にしている友人とその息子つれて待っていてくれた。
早速その友人(デロさん)とキャノピーの補強や新たにコクピットを囲む安全柵をどの様につくるの打ち合わせをする。その後近くのパブでドン夫婦とビールとワインとビフテキを食べる。今回は自分が支払うのを受け入れてくれた。
船に戻ってバタンキュウ。
明日は船を陸揚げするためシドニーまでDHARMAを回航する。グラハムが同行する予定だ。


8月3日(水)
<コメント>
約束通りグラハムが9時に訪問。先日買い求めたチャートとグラハムが用意した潮汐表を見ながらシドニーまでの航路の打ち合わせ。距離は15海里。出入港だけは自分でヘルムを取るがそれ以外は総てグラハムにお願いする。
途中この辺の蟹(クラブ)は美味いかと尋ねると、珍しく怪訝な表情をする。息子のアンドリューが木材の輸出の仕事をしていたことがあり、日本人が打ちあわせにくると「ナイトクラブ」の案内をさせられるので閉口していたとの事。
よくあるRとLの発音の違いでおきた勘違いの一幕。午後3時指定されていたクレーンの前に舫いをとる。マリーナの責任者に報告した後「BLANCHRD RIGGINNG」のJonathanと修理の打ち合わせ。
主な打ち合わせ点は
1)メインセールのリーフィング(縮帆)システムの改良とブーム位置(20cm上げる)変更
2)ジュネカーのリーフシステムの採用
3)ジブとインナージブのサギングを防ぐためより強力なバックステイアジャスターの採用
4)壊れたウィンドベーンの補修
早速船のチェックをして幾つかのオプションと見積もりを翌朝までに作成するとの事。
これ以外にもシドニー滞在中に以下を予定、期間内に出来なければハワイに持ち越し。
5)寒冷地対策(ヒーターと適切な衣料品)
6)ソーラーパネルの増強とコクピット周囲に防御柵を設置
7)造水器の修理と航海計器のキャリブレーション、GPSのバックアップシステム
8)その他船内を使いやすくするための大工仕事
5時半に予約していたが4時に上架、吊り上げた状態で夜をすごす事になった。船底は思っていた以上にきれいだったがジンクやスルハルに始めてみる生物(きのこ;なめこかシメジのように見える)が群生していたのには驚いた。
日本にいた時に見たことはないし、地元ビクトリアの人達も始めて見るとの事だった。グラハムと一緒にスクレーパでむしりとるのに2時間近く要した。日暮れ前にグラハムの息子アンドリューが迎えに来る。
シドニーのシーフードレストランで夕食。3人ともクラブを注 文。グラハム親子にマリーナ送って貰い本日終了。

8月4日(木)
<コメント>
外が騒がしいのでキャビンから顔を出すと、船を降ろす準備をしている。待ちくたびれたような顔で上架予定の船の持ち主が待っている。慌てて昨日得たいの知れないキノコ状の生物を毟り取ったところを中心に船底塗料を塗る。
船を指定のバースに舫うとジョナサンが打ちあわせにやってきた。メインセールをローラーリーフにするよりも現在のシステムを改良したほうが信頼性が高いとの事で、以下方法で進める事になった。
ジュネカーのリーフシステムはイタリアのメーカー(バーマー:www.barmar.it or www.rollgen.com )に問い合わせ中との事。
@ラフのスライダーをベアリングの入ったスライダーに変える。
Aブームの両翼に20cmぐらいのパイプの張り出し(アウトリガーのイメージ)を溶接する。
Bバックステイアジャスターをハイドローリックタイプに変える。
Cブームキッカーを変える。(2本のプラスチックパイプで構成。強風でメインを降ろした時、柔軟性があるのでブームエンドをデッキの高さまで下げる事が可能)。
場所も道具も提供するので、自分で出来るところは自分でやって欲しいとの事。またパッケージでの割り引きを適用するとの事。
ジャナサンの後ろに背の高いやせたヒッピー風の男が二人の会話を興味深そうに聞いている。
話が終わると壊れたウインドベーンを見て自分のは頑丈で絶対壊れないから見に来いという。
彼の名前はティム(Tim)。30フィートの船を住みかにしている40歳前後の独身男。
トラックの運転手だというが今年の一月以来船の手入れに忙殺されて仕事はしていないと言う。
彼の船の中はDHARMAと同じ位ごった返している。ウインドベーンよりジーゼルを燃料にするヒーターに興味を持ち色々尋ねる。
自慢の備品の一つらしい。色々調べた結果、最も簡単で信頼性が高く自分で取り付けたと言う。
早速彼の案内でマリンショップを3軒ほど覗く。ティムと同じ製品を安売りしている店があり、足りない部品は他の店で取り寄せ可能との事。
取り合えず本体のみ購入(カナダ$550)。ティムに手伝って貰い取り付け完了。後で煙突を買ってデッキに穴を開ける仕事が残っている。
夕方ティムとシドニの町に食事にでる。毎週木曜日は町の一角が歩行者天国となり大変な賑わいだ。
初めて日本レストランに入り、てんぷらと寿司を注文したが予想していた通り期待はずれだった。
ティムはアルコールを飲みだすと止まらないので随分前に飲むのをやめたといってソフトドリンクしか飲まなかった。明日はスカイダイビングの客があり、自分は頼まれてフライング中の客の写真(ビデオ)を取る事になっている。良かったら来ないかと誘われる。
どうも単なるトラック野朗ではなさそうだ


DHARMA in OAK BAY MARINA

無事オークベイマリーナへ入港し満足気な目黒さん


8月5日(木)
<コメント>
イリジュームの件お手数をおかけしました。写真急いで送らなければと思ったのが間違いだったようです。以後注意します。
朝九時にTimが約束どおり迎えに来た。朝食を近くのパブで一緒にとることにしていたのだが当方早く起きて先に食べてしまった。
改めて11時発でスカイダイビングに付き合う約束をする。12時少し過ぎ車が故障したので友人の車を借りて遅くなったといいながら迎えに来る。田舎道を20分ほどドライブ。途中これまで何回スカイダイビングをしたのか聞くと即座に2300回と答える。当方???。
着いたのはビクトリアの国際空港。この片隅にスカイダイビングのクラブハウスがありパイロットのギャビーとベテランスカイダイバーのゲイリーそれと今日のゲスト2人が待機していた。ゲストは2人とも若いお嬢さん。
ティムと又車に乗り着地地点の下見に行く。若いお嬢さん2人も後から車で着いてくる。着地した後の帰りの車を置きに行くのと着地地点に目印の旗を立てるのが目的だ。着地地点はポロの競技場の一部らしく、これまた若いお嬢さんが一人悠然と馬にまたがりポロの練習をしていた。丁度練習が終わったらしく馬をなだめながら歩いて厩舎へ戻るところに声をかけ写真を撮らせてもらう。
その後ティムとポログランドの真ん中へ目印の旗を立てに行く。事件はこの時起こった。先ほどの馬がいましがた我々が来た農道をものすごい勢いで走っていく。その後をポロのお嬢さんが帽子や上着をかなぐり捨て何とか追いつこうと必死に後を追う。
ティムの行動は早かった。直ぐに車に乗るようにいい、猛スピードで後を追う。間もなく公道の片隅で走り疲れた馬が休んでいるのを見つける。左太もも前の脇腹に直径10cmはあろうかという穴があいておりそこから血が滴り落ちている。農道から公道に出る前のゲート鉄骨にぶつかったと思われる。
追いついたポロのお嬢さんが身じろぎ一つせず顔を伏せその場にうずくまっている。馬は未だ興奮しており誰も近づけない。ティムが慣れた手つきで馬の額をゆっくり撫でているうちに少しずつおとなしくなっていく。
誰かが今ポリスやXXX(良く聞き取れなかった)に連絡したと言うのを聞きながら現場を離れ改めて着地予定地にもどる。残っていた2人のお嬢さんを拾い飛行場へ。ジャネット(若い方20歳)はフランクフルトから休暇を利用して従姉(医学生)を訪ねてきたとの事。
自分は遊覧飛行のみを希望(カナダ$23)。にもかかわらずいざという時のためにパラシュートを身につけその使い方の説明をギャビーから受ける。小さな小さな単発の軽飛行機にギャビー、ティム、ゲイリイ、ジャネットと自分の5人がすし詰めになりあっという間に離陸する。
シートはパイロット用に一つあるだけ。残りの4人は床の上に足を交互に伸ばして座っている。タンデム(ゲイリイがジャネットを抱きかかえて2人一組で降下)ではあるが初体験のジャネットは不安そうに辺りを見回している。

15分ほどで予定高度の1万フィート上空へ。ギャビーがドアを開けビデオのついたヘルメットをかぶったティムが翼の支柱に伝わり翼の端で待機する。間髪をおかずゲイリーとジャネットが飛び出す。
ヒャーともヒエーともつかぬジャネットの叫び声を残して。ギャビーは慣れた手つきでドアを閉め、運転席の隣に来るように手招きする。渡された交信用のヘルメットをかぶる。眼下にビクトリアとシドニーの町並が見える。
海の向こうには白雪を抱いた秀峰ベイカーマウンテンが見える。ギャビーの説明つきで貸切の遊覧飛行を楽しむこと20分無事飛行場に到着。戻りの飛行機の中でギャビーは男子軽量級4人乗りの競艇のオリンピック選手で3回出場し3回とも5位以内だった事。内モントリオールでは銀メダルを取った等の話を聞く。淡々とした話し振りだ。実績と自信のある人にはおごりがないと改めて感じる。
戻ると次のトライはもう一人の医学生。更にその次に待機しているのはオーストリアからきたやはりお嬢さん。ギャビーの一つ違いの弟ラリーを尋ねてきたとの事。今度はラリーとその友達のオーストリアのお嬢さんと3人で着地地点に落下部隊を迎えにいく。
ラリーはカルガリーで国際石油会社シェルに勤務しており、仕事のバックグラウンドが同じなので話が弾む。アブダビの石油開発の実態も良く知っている。アイススケートの選手でオーストラリアに留学している時も続けていたそうだ。尋ねてきたお嬢さんはその時のアイススケートのパートナーだったそうだ。
明らかにトルコ系の血を引くと思われるお嬢さんは小柄だが浅黒く引き締まった体つきをした素晴らしい美人。
兄と同じくオリンピック出場を狙っていたが、学生のみであまりにも金がかかるので諦めたとの事。

現場に着くと先ほど叫び声を上げて降下したジャネットが実に清清しい顔つきで我々の到着を待っている。突然英語からドイツ語にチャンネルが切り替わり何を話しているのかチンプンカンプン。
ラリーが時々通訳をする。降下してほんの数秒は落下している感覚と恐怖感があったが以後は風を切る音だけが聞こえ無重力状態で空を飛んでいる気分。とても気持ちが良かったとのこと。かなり興奮している。間もなく大きな風切り音を立てティムが降下。暫くして虹色の鮮やかなパラシュートが降りてくる。同じような場面が延々と続く事が予想され、ティムに断りラリーに頼んでマリーナに送って貰う。
帰り際にベテランダイバーのゲイリーに何年やっているのか尋ねると20年と答えた。ダイビングの回数は4000回だそうだ。
マリーナに戻り修理の状況をジョナサンに確認。週末には備品が届くので月曜には仕事に入れるだろうとのこと。慌しい一日が無事終わった。


8月6日(金)
<コメント>
ティムの週末はスカイダイビングの仕事で忙しく、ジョナサンは未だ備品が届かないので仕事に取り掛かれない。
ビクトリアからドンが訪ねてきた。朝食を持ってきたといってドーナツを差し出しながら申し訳なさそうに先日持ち帰ったキャノピーを差し出し、理由は判らないが友人のデロが約束した仕事が出来ないと断ってきたという。
物事総てが自分に都合よく運ぶ訳がないと自分に言い聞かせ、ドンの好意に感謝しながらゼロベースで修理の方法を考える事にする。
ドンが帰った後、船内の荷物を外に出し虫干しをしながら漏水箇所を点検。漏水箇所にシール剤をを充填する。作業中何人かがはるばる日本からきた新顔に声をかけてくれる。

若い奥さんと子供をつれた人がニュージランド風の訛で自分の叔父がオークランドでマリーナのサービスをしているので立ち寄る機会があれば是非寄ってくれとメモを渡してくれた。
大分先の話だが恐らく叔父さんが元気で仕事を続けていれば会うことになるだろう。
がここで気がついたことは出来るだけここで終わらせたい。そのうち、今度は命取りになるかもしれない。長旅で自分の体も鈍っているので夕方2時間ほど早足で散歩をし、近くのパブでキドニーパイを食べながらビール2杯飲み一日が終わる。

8月24日(水)
もうすぐハワイ向け出港されます
<コメント>
そろそろ連絡しなければと思っていたところです。
こちらに来て3週間たちますが、雨が降ったのは一日だけ、それも朝方数時間でした。
夜は少し寒くなりますが、日中は汗ばむほどの晴天が続いています。ここ数日は秋の気配が近づいているのを感じています。
マイナーな修理はハワイに持ち越す事にしていますが、主要な修理や新たな備品の取付けが遅れており
今週金曜日までかかります。
予定通り完了すれば8月28日(現地では日曜日)にシドニーを出てビクトリアの対岸にあるポートエンジェルス(USA)に寄航、ここで免税手続きをし、翌日気候が良ければワンデフカ水道を抜ける予定です。
金曜日までで結構ですので気象概況、想定コース、予想天気図等送ってください。


8月31日(水)
<コメント>
修理が長引き総て終わったのが火曜日の午後。買い残した食料品を仕入れ、夕方3時間ほど、ジュネカーのローラーリーフィングシステム確認のためテストセーリングを実施。日暮れまでに何とかコントロールロープの調整等を終了。
今朝7時にシドニーを出航。35海里の航程を6時間かけ13時にビクトリアの対岸、米国領ポートエンジェルスに入港。途中濃霧が海面を覆い、航程の半分はレーダーとGPSで走行。
ポートエンジェルスで米国入国の手続きと関税の処置をしハワイに発つ予定が思わぬことで問題発生。
理由はプライベートボートで入国する場合、正式なビザの事前取得が必要との事。これをクリアするためには正式なルート(飛行機やフェリー)での再入国が必要。とりあえずDHARMAの入国料US38を払い、船をポートエンジェルスに係留し1730発のビクトリア行きフェリーに乗る。
ビクトリア港では既にカナダ側と米国側の係員に連絡が入っておりビザ取得の手続きはいたって簡単。
めでたく3ヶ月限定のビザを取得。
明日早朝予定通りハワイに向け出航すべく1930発のポートエンジェルス行きフェリーに乗ったところ。所変われば品変わるの例えどおりカナダ入国時には電話だけで手続きが出来たのに米国ではより厳しいことが判明。
日本出航前にビザを取っておけば問題なかったが、実際問題として、通常ビザの有効期間は6ヶ月で総ての寄港地のビザを事前に取るのは無意味との判断から事前取得は考慮外だった。
一応外務省に電話しその後外務省のホームページで、ビザの必要な国を確認したが、いずれにしても米国の事前ビザ取得は端から念頭になかった。次回ヨットで渡米する時はビザを事前に取る事にしよう。
ともあれ今後の寄港地でのビザの問題は後を引きそう。ハワイで調べる事にする。

以上とりあえず近況報告 ポートエンジェルス行きフェリー COHO 号の船上にて8月31日21時
ポートエンジェルスからの出航は日本時間9月1日23時(現地時間9月1日0700)となる見込み。




inserted by FC2 system